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中央教育審議会大学分科会

2001/08/31議事録
中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第1回)議事要旨

中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第1回)議事要旨
     
日   時 平成13年8月31日(金)14時30分~16時30分
     
場   所 三田共用会議所   第3特別会議室
       
議   題 (1) 部会長等の選任等
    (2) 自由討議(法科大学院の在り方など)
    (3) その他
     
配付資料
  資料1 大学分科会及び法科大学院部会の概要
  資料2 法科大学院部会名簿
  資料3 大学分科会関係法令
  資料4 中央教育審議会への諮問事項について(抜粋)
  資料5 法科大学院に係る審議会の提言及び主な意見
  資料6 法科大学院に係るスケジュール(想定)
  資料7 法科大学院部会当面のスケジュール(案)
  資料8 法科大学院部会における審議事項例について
  資料9 大学分科会の今後の日程について(略)
     
出席者
(委   員) 佐藤幸治(部会長)、奥島孝康(副部会長)の各委員
(臨時委員) 濵田道代委員
(専門委員) 磯村保、井上正仁、太田茂、奥田隆文、川端和治、小島武司、舘      昭、藤川忠宏、藤田宙靖、牧野純二の各委員
(文部科学省) 工藤高等教育局長、板東高等教育企画課長、合田大学課長   他
   
議   事
  (1)    部会長に佐藤委員(近畿大学法学部教授、京都大学名誉教授)、副部会長に奥島委員(早稲田大学総長)が選任された。
  (2)    部会長から挨拶があった。
  (3)    事務局から資料について説明があり、その後法科大学院の全体的な事柄について自由討議を行った。
    (○:委員、●:事務局)
       設置基準を考える前提として、法科大学院がどのような教育をするかをしかるべきところで示してもらった上で、考えるというのが司法制度改革審議会の考え方であり、しかるべきところについては、第三者的な権威のある独立機関を早く立ち上げるものと思っているが、現時点では司法制度改革推進準備室が適当ではないかというのが結論である。今後、臨時国会で司法制度改革推進本部を設置するための基本法を制定し、今年中に立ち上がる可能性もあるが、その後3年の間に法律の制定など所要の措置を集中的に決めていくことになるだろう。正式な決定は少し後の方になると思うが、推進体制でどういう内容の教育が行われるか審議したものをできるだけ早く提示してもらい、最終的な結論を出していきたいと考えている。設置基準と認定の問題とは密接に関連してくるものと思うが、設置基準はどちらかといえば、最終的に決める事柄は外形的な最低限のものになると思うが議論としては広く様々な事柄に及ぶ必要があり、少しずつ精査しつつ決めていくことになると思う。まずはご自由に意見をいただきたい。
       部会での検討に当たって二つ視点がある。一つは、法科大学院部会で決めた設置基準に基づいて、設置基準を満たしていれば設置認可するプロセスがある一方、第三者評価機関が法科大学院としてのクオリティを保証し、大学院というグループに参入するための認定を行うとともに、その後の状況を時々評価して認定するプロセスがあることにより、大学設置分科会と第三者評価機関による2重の審査がなされることが想定されることである。もう一つは、法科大学院制度と専門大学院制度との関係をどのように捉えるかである。
       設置基準は英語で言うとチャータリングであり、教育機関を設立することを認める基準であるが、アクレディテーションは、教育機関が動き出した後に所期の質が本当に確保されているかどうかを確かめるものであり、教育機関としての質の維持のための制度である。このため、アメリカなどでは、学部の教育機関のアクレディテーションというのは、現実的な機能として、大学院に進んだ場合の資格要件を満たしているかについて働くという意味で、出口の問題である。法科大学院のアクレディテーションが特殊なのは、法科大学院の設立目的が単なる教育ではなく法曹養成に特化した機関であり、法曹資格に結びついていくということである。
       設置基準については中教審、教育内容等を中心とした評価基準については、司法制度改革の推進体制が中心となって考えていくこととなり、同時進行で並行的に作業をしていくことになるのではないか。推進体制の方から、しかるべき時期には評価基準の素案のようなものが示されるものと期待するが、各大学にとっては、設置認可の申請自体は平成15年からになるとしても、その相当以前には、中教審がまとめる設置基準や、推進体制がまとめる評価基準の考え方が分かるので、教員の確保等の準備期間はできるだろう。また、実際の設置認可に際しては、設置基準による外形的審査はクリアしたも評価基準を満たさないために、その法科大学院に入学した学生が、2,3年後の新司法試験を受験できなくなる、という事態を避ける必要があるのは当然である。設置基準を満たしているかどうかの審査と評価基準を満たしているかどうかの審査とを実質的に並行的に行うなどの工夫はあり得るのではないか。その際の問題点としては、評価基準の中には、カリキュラムや教員の確保等、事前に把握できる事項と、実際にどのような授業が行われているか等、設置後継続的に評価するしかない事項とがあり、設置認可の時点でこれらをすべてカバーできないということがあるが、それについては、例えばアメリカでは仮認定という制度もあり、いろいろな知恵を出して検討し、各大学が、十分な準備の下に、確実な保障の下に法科大学院を立ち上げられるようにすればよいと思う。
       似たようなものに医師や看護婦の国家試験があるが、厚生省の基準において、必ず用意しなければならない科目が定められており、それを全て履修した者が当該国家試験を受けられる。実際にここ20年くらいの間に、厚生省の基準は硬直的で新しい時代の看護婦は作れないのではないかという指摘があったため、文部省と厚生省とで話し合い科目の乗り換えが可能になったことにより、柔軟な看護婦教育や医師教育が可能になったことがあるが、法科大学院についても、このようなことが重要である。
       評価については、いきなり適格認定を取り消すのではなく、改善を促すことが第一の目的である。評価基準については、司法試験や司法修習とも連動し、文部科学省だけでは決められないことがあるので、関係機関の有機的な連携の下に推進本部が中心になり、実質的な中身を決めていくということになる。いずれにせよ、従来はない基準を作っていくため、最初の一定期間は試行錯誤であり、基準を現実に合わせてより良いものにしていくことを積み重ねていかなければならない。
       推進体制が超越した存在として決めるのではなく、文部省の検討会議におけるこれまでの検討や、大学人の間における検討も推進体制の方で考慮してもらう必要がある。また、関係機関が連絡を取りながら検討しているので、この結果も踏まえながら推進体制の方で、基本的考えを決めてもらえるのではないかと思っている。これを踏まえて、設置基準を部会で考えるということではないかと考えている。第三者評価について、どのような形で担保するのかについては、現段階ではいろいろ案はあるが、推進体制の方で考えてもらい、推進本部は3年の時限であるため、その後は第三者評価機関が恒常的に何年かに一度評価するという形になるのではないか思う。
       ここまでよくきたなと感じている。法科大学院構想については、司法制度改革審議会のみならず、様々なところで真剣に議論され、かなり独創性のある案が発表されているが、日本の法曹教育にとって非常にありがたい一方、あまりにも独創性に富んだ意見が乱立し、それが今後の検討に反映して、振り出しに戻ってしまうことを懸念している。今後は意見書を出発点として実現に向けた具体的な制度設計について建設的な議論が必要である。そのための論点として三点ある。一つは、司法制度改革審議会では法科大学院の理想像が議論されたが、今後は理想も踏まえながらの現実的に限られた時間の中でどう実現していけるのかを議論をしなければならないこと。二つ目は、法科大学院制度については様々な人の希望をできるだけ生かせるような制度にするため、あまり最初から硬直的な全国標準を定めるような制度設計をするのではなく、最低基準を共通に定めた上で、創意工夫が様々な試みを生み全体としての法曹養成を活性化させるようにすること。3つ目は、一度決めたことは未来不変だという考えでいくのではなく、最初からベストを目指しつつも、さらにベストが見えたら変えていくという試行錯誤の姿勢が大切であること。
       決めるときに絶対完全なものを決めておかないとその後の議論が必要以上に複雑になるということで、従来の日本の制度は一旦決めたら一切変わらないということがあったが、今後は、そのような発想はやめるべきと考える。完全主義は不完全であるという名言もある。法科大学院構想に関する検討会議で様々な議論を行い、積み重ねてきたのが、法科大学院の最終答申に反映されたが、これから一歩も出てはいけないというわけでなく、これを大きな土台として自由な議論をお願いしたい。
       自分も法学部の教授であるから法学教育のことならある程度は分かるが、プロセスを前提としているのであるから、法学教育、司法試験、司法修習の有機的な連携により、それぞれで何を分担するのかについても、できるだけ早く検討すべきである。
       良い法曹を育成するため、司法試験制度も法科大学院の教育内容にふさわしいものにしていく必要がある。法科大学院ができてから、その教育内容をみてから試験の在り方を考えるというわけにはいかないので、法務省としては司法試験を所管し、推進体制に協力するという立場から、新たな司法試験の在り方についても真剣に検討しており、従来の発想にとらわれず、斬新な視点で司法試験の在り方を考え、推進体制に適切に我々の考え方をインプットしていかねばならないと思っている。ただ、司法試験の在り方は極めて注目を浴びる問題であり、中途半端な考え方が一人歩きしても困るので、慎重な対応も必要であるが、今後、法曹三者はもとより、文部科学省・大学関係者を始めとして各関係方面とも積極的に意見を交換していきたい。推進体制においては、我々関係組織のみならず、広く国民の意見を吸収しつつ検討を進められるものと思うが、いずれ然るべき時期に、新たな司法試験制度の在り方についてイメージを示していただくことを期待している。
       司法修習は、法科大学院卒業、司法試験合格の後に実施されるため、司法制度改革審議会最終答申に沿って法科大学院と司法修習の役割分担について今後中身を検討していく際、法科大学院についてある程度の骨格が見えないことには役割分担といってもなかなか検討しにくい部分があるが、司法修習についても鋭意検討をしていきたい。
       司法制度改革については推進体制が全体を調整・統轄をしていくが、その際に、法科大学院については文部科学省が担当するということでこの部会が設けられた。しかし、法科大学院は立ち上がったが司法試験はできていないというのでは法曹養成の制度全体が機能しないので、プロセスとしての法曹養成という司法制度改革審議会意見書の提言に沿って、全ての要素が一体になって動いていかないといけない。内容的には法科大学院、司法試験、司法修習のどの部分を先に決めないといけないかは難しい問題だが、いずれにせよ、今の司法試験のように、ペーパーテストに通れば、法曹資格の基礎的なことは認定されるというのはおかしいので、法科大学院を中核とする教育のプロセスに重点をおいて、そのプロセスでどういう成果を出すのかということがまず検討の出発点である。
       文部省法科大学院(仮称)構想に関する検討会議で感じたことが2つある。一つは、基本的には法科大学院の質の問題は、学生の立場とともに依頼者である国民の立場に立って考える必要があるということである。すなわち、個々の法科大学院の教育内容は公的な法科大学院制度の一部であるため、例えば、ある法科大学院が不適格になった場合には、システム全体として、他の大学で学生を引き受けて、立派な教育の場を提供すると言う意味で、公と私をきちんと区別することが重要でないかということである。もう一つは、今回の法科大学院構想は、日本の法学教育の現状の中で生まれており、日本独自のものがそこに含まれているということと、米国の教育の要素を中核としつつも、カナダ、イギリス、フランスの制度に共通する面も備えていることに留意する必要があるということである。普遍的な制度を目指しつつ、それを日本の場である程度選択したと考えることができるのではないか。法科大学院については、一つの究極の制度目標を目指しつつ、最初は完全なものができなくても近い将来完全なものになるよう努力しようということが基本的な出発点だと思うが、その点において、リーガルプロフェッションの重要性を考えその理想に則して検討することと、法律家の活動はグローバルなものになっているので、世界に開かれた教育の場の実現の可能性について検討することが必要である。
       法科大学院について、最初にスタートする形が大きな影響を及ぼすことも事実であるため、平成16年4月の学生受入から逆算してできるだけのことをやっておく必要があるが、その際、最初から完全なものを目指すのではなく、必要なことはすぐ改め良いことはさらに伸ばすというシステムを明確に作っておくということが大切。資料6において入学者選抜実施が2月~3月とされていることについて、学生の大学を卒業した後の法科大学院以外の進路はもっと早く決まることと、意見書の内容に沿って入試をしようとしたら手間がかかることを踏まえ、せめて秋までには入学者選抜の結果が判明していることが望ましい。また、法科大学院における教育について一番工夫が必要なのは現場の教員なので、そのための十分な時間的余裕を与えるべきである。
       教員募集について設置認可との関係では、設置前年度の6月の申請までには、当然各授業科目の担当教員の計画を大学として決めており、審査の際にはそれを見せてもらい、夏の段階で教員審査が行われるので、具体的には1年くらい前に大学の中では決まるということになる。予定では、6月に最終答申が、本年末に設置基準の骨子案が出るが、基準については、暫定的であれ、できるだけ早く考えを示して、各大学で準備する期間を確保できるよう心がけていきたい。
       資料6は、考えられるスケジュールとして司法制度改革審議会事務局がまとめた最初の段階での当面のものであり、固定的にこの時期に行われるというわけではない。法科大学院の立ち上げについては、もっと早く実施することは物理的に無理であり、逆に先延ばしにするのも失速するので、ぎりぎり早くても16年が適当であるだろう。実質的な基準はできるだけ早く示して、個々の教員も含め、一年間程度の期間により、どういうことになろうともやっていけるような基礎的な体力をつくるための準備をしてもらうことが必要。
       入学者選抜について、司法制度改革審議会意見書では、適性試験について盛り込まれているが、これについてもこの部会で議論するのか。
       設置基準をこの部会で決める前提として、プロセスとして法曹養成の入口としての法科大学院、出口としての司法試験、司法修習の関係全体を理解することが必要であるため、入学試験についても議論することも必要である。入試の具体的な細部をどこまでこの部会で決めなければならないかについてはともかく、適性試験について議論するのも結構であると考える。
       司法制度改革審議会意見書は、適性試験は統一的に実施することが条件であることが盛り込まれているが、統一的な適性試験について、どこが主体になって、どういう形でやるのかまでは設置基準の問題ではない。意見書を踏まえ、責任あるところが適性試験を提供して、各法科大学院が利用していく実態が、全国的に統一的、公平、客観的な適性試験を課しているということが守られているかどうかは評価の問題となっていくと思う。設置基準でどこまで踏み込んで書けるのか、あるいは書くべきかについては疑問があるが、入口や出口の問題、教科内容の問題は、設置基準が外形的な基準だとしても、様々なところで関係してくるので、この部会においても議論は幅広く行う必要があり、最終的に決めることは、一定の守備範囲内のものであるという整理と考える。
       今までの法曹教育は司法試験に受かれば一人前だということを前提でやってきたが、弁護士に対する信頼は、競争から生み出されている。企業の立場からは、競争こそ品質を作ると思っており、ロースクールの制度設計に当たっては、競争原理をうまく組み込んでいく必要がある。制度設計をフレキシブルに調整することについても、かなり競争という論理が役立つのではないか。
       従来の司法試験についてはご指摘の通りであり、法科大学院の教育の在り方についても関係してくる。司法制度改革審議会意見書によると、競争原理が重要でありこれにより各法科大学院は個性を出してほしいということと、第三者評価について、大学人のみならず法曹関係者、一般の人が入った評価機構が客観的な評価を行うことが、合理性の高い法科大学院を作るのに必要不可欠であるため、法科大学院構想はそのような全体の仕組みの中でのものとして理解いただき、意見をいただきたい。
       何らかの形で学校を作ると、学校では教員の質、教員の教え方、学生との関わり、学校の基礎のコーポレートガバナンスが非常に重要となるが、まずそこで競争が一つある。その成果として、新司法試験に合格するかどうかの競争があり、さらに、法曹人として実務に入って行う仕事ぶりから、各法科大学院のプロセスとしての教育の在り方が評価されることとなる。特に、国際法務の部門では、どのような資格で教育を行うかが重要である。
       基本的な問題意識として、米国においては、大学院の設立は自由で、大学協会、第三者評価機関によるアクレディテーションがあるのに対して、今回の法科大学院の検討では設置基準により入口で締めて、第三者評価により中でも閉めているというのはどういうことかが疑問である。もしプロフェッショナルスクールで徹底するのであれば、必ずしも大学院でなくてもよく、なるべく設置基準というのも創意工夫が生きるようにゆるめにし、アクレディテーションにより、アウトプットの質について競争をした方がよいのではないか。
       各国には公教育制度があり、それとは別に企業内教育、予備校も含め様々な教育形態があるが、大学をどのような形で発足させるかは国によって政策が異なる。ヨーロッパ型は、英国に代表されるように、国家のチャーターによって大学の設置が認められると言う仕組みであり、日本はどちらかというとヨーロッパオリエンテッドである。すなわち、仕組みとして国が設置を認可するという仕掛けの中で、特に公私立については、専門家の判断を得て、ある程度外形的な要件を具備すれば認可する覊束裁量の世界である。一方、アメリカ型は、連邦で統一的な制度があるわけではなく、各州政府による外形的でゆるやかな認可制度が基本であり、州により結構多様なものがあるため、アクレディテーションの仕組みが育っているという状況である。その中で日本の制度が今までのままでいいのかというのが議論の対象であり、アクレディテーションのような大学人同士の自主的な評価あるいは相互牽制システムの育成が大きな課題だと思っている。大学の教育研究活動について一定の評価をして、制度の維持向上を図る機関として大学評価・学位授与機構ができているが、そこですべてが評価されるわけではないので、今後、評価システムの育成を前提にしつつ、認可の在り方を見直さなければならない課題だと考えており、中教審大学分科会の別の部会において、認可の在り方について御議論いただきたいと考えている。
       50の州がそれぞれ異なる教育制度を持っている米国においては、各州毎の設置認可としてのチャーターとアクレディテーションは異なる概念であり、アクレディテーションは設置認可後の監督とは別物である。一方、我が国は、大学の設置については国が保証してきていたため、いきなりそれを民間団体に任せるということは現実的ではなく、その部分は生かして行かざるを得ない。現実的には、アクレディテーションは設置認可後の部分を実質的に見るということを担うことになる。我が国の場合は、国全体として統一的な制度を作らざるを得ないので、設置基準の部分が重要となる。
       日弁連が現在考えている案は、各法科大学院が設置後4年以内に第三者評価を受けて適格認定を受けることとし、第三者評価を受けるまでの間は、設置の段階である程度、第三者評価に耐えうるものを認可するという要素が必要であり、何らかの形で第三者評価基準を将来満足できる様な形での設置認可の仕組みが適当であるとするものである。
       法科大学院が軌道に乗った時点でどうするかということと、現時点から法科大学院を立ち上げる前にどうするかについては、区別して考えた方がよい。設置基準がどうなるにせよ、民法、商法の授業が法科大学院において行われないということは実質的にあり得ないので、教員サイドでも準備を行うなど、可能な限りのスケジュールで準備していくしかないと考える。
       究極の法科大学院制度を作るという理想がなければ、新しい制度を作るエネルギーがなくなり、現実を考慮するあまり、なぜそのような制度を作るのか、余計な時間と費用がかかるだけではないかという批判に耐えられないものになってしまう可能性がある。したがって、理想的な新しい法曹養成制度を作るという実質だけは、制度の現実化の過程でも失わないようにして議論する必要がある。
       これに関連して、法曹養成の中核がなぜ法科大学院かという問題の一つには、学部教育で全ての法律教育を行うということになると、当然司法試験にウエイトがかかっていくことになるため、プロセスのどこの部分で法曹を育てるチェックすることが、全体としての法曹養成にとって得策かという大局的判断により法科大学院が選択されたことがあるということを強く意識しておく必要がある。その上で、競争を重視するということが必要となる。
       法科大学院制度は、法曹教育それ自体が目的ではなく、国家の競争力と国民の幸せが一番の目的だと考える。法曹教育だけを見ていてはだめだ。
       法曹養成が究極の目的ではなく、何のための法曹養成かを考える必要があるが、その中で、なぜ大学において行うのか、法曹養成の中身がどのようなものかを考えることが重要である。これは、カリキュラムの在り方にかかっているが、実務志向で法曹を養成していく基盤としての学問研究に支えられて、はじめてそれが豊かなものになるという意味で、教育の場である大学が法曹養成の中核であるべきだと思う。
       次回に検討する論点は絞り込むのか、それとも全般的に議論するのか。
       すぐに具体的な論点について結論を出すのではなく、できるだけ自由に議論して、しかるべきときにそれを集約することが必要。
  (4)    本日の議論を踏まえ、法科大学院の全体像については引き続き検討することとなった。
   
次回の日程
     次回は、9月18日(火)に開催することとなった。

(高等教育局高等教育企画課)

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