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中央教育審議会大学分科会

2001/09/18 議事録
中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第2回)議事要旨

中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第2回)議事要旨

日   時 平成13年9月18日(火)10時30分~12時30分
       
場   所 三田共用会議所   第3特別会議室
       
議   題 (1) 自由討議2
    (2) その他
       
配付資料    
    資料1 法科大学院部会(第1回)議事要旨(案)   (略)
    資料2 法科大学院部会における審議事項例について(増補版)
    資料3 検討すべき主なポイント   (案)
    資料4 法科大学院部会における審議スケジュール   (案)
    資料5 法科大学院部会/審議用参考資料
    資料6 大学分科会の今後の日程について   (略)
       
出席者 (委   員) 佐藤幸治(部会長)、高木   剛の各委員
    (臨時委員) 石   弘光、濵田道代の各委員委員
    (専門委員) 磯村   保、井上正仁、太田   茂、奥田隆文、川端和治、小島武司、舘      昭、ダニエル・フット、藤川忠宏、藤田宙靖の各委員
    (文部科学省) 御手洗文部科学審議官、清水高等教育局審議官、板東高等教育企画課長、山中生涯学習政策局政策課長、合田大学課長   他
       
議   事
     
  (1) 事務局から資料について説明があった後、法科大学院の全体像について自由討議を行った。
     
     意見書における法科大学院の教育理念、制度設計は全面的に賛同できる。例えば、カナダのロースクールでは、目的として地域の貧困者への奉仕を掲げ、貧困者へのクリニックをしているが、そのようなことが法科大学院でも実践されれば、実際の社会の最下層の人たちの生活に触れて良い法律家が育っていくことが期待できる。
     
     医学部は、医者になりたい人が入るからいいが、法学部は、役人やマスコミ、企業に入る人もいて進路は様々である。また、学部で終わる人もいれば、大学院に進む人もいる。法科大学院ができると既存の学部や研究科との関係はどうなっていくのか。
     
     リベラルアーツの人間教育が先にあり、その上のメディカルスクールやロースクールで専門教育をするという仕組みをとるべきである。ロースクールの教育は、判例の積み上げで新しい法解釈が次々と生まれていき、ダイナミックな法の世界が構成されることをいかに教えるかである。また、この法科大学院を土台に日本の法曹、司法の世界の体質改善も必要ではないか。国民の法的な医師としての仕事は、法廷においてだけではなく、法廷とは全然関係のない普段の商行為のようなものに本当の仕事があり、量的にはむしろその方が多いのではないか。
     
     最近、法定外の仕事が急激に多くなっている。ほとんど事件にならないような相談や例えば交通事故の賠償問題などが多い。これを弁護士の仕事としてしっかりこなしていけるようにならなければいけない。
     
     今後の法曹養成には、法定外の実務も視野に入れた教育をすることも重要になると思う。法科大学院での教育は、知識を詰め込み、知識量を増やすことにあるのではないが、我が国は成文法の国であり、実定法の基本的な知識や理解は必要である。判例の学習についても、単にたくさんの判例を知識として知っている必要があるのではない。判例の結論や要旨を暗記するのではなく、その判例における具体的な事実関係、どのような経緯で争われ、その結果としてどのような結論や理由になったのかと言うことを徹底的に検討する姿勢を身に付けさせるなどにより、これまで判例がない分野の問題についても、新たな判例を生み出すような応用力、想像力を養成することが重要である。
     
     法曹として理解しておくべき判例は基本的にどの分野にもある。応用力も大事であるが、その基盤になる知識は軽視すべきでない。
     
     アメリカのロースクールの場合、30~40年前は法廷中心の教育が中心であったが、最近はむしろ、行政ルートで解決したり法廷外のアプローチもみられる。つまり、問題を解決するアプローチとしてどれが最も望ましいかを強調して教育を行っている。また、最近は、どの科目でも倫理問題を取り入れており、1年目から学生にテーマを与えて考えさせる。
     
     アメリカのロースクールの場合、法解釈だけでなく何か得意分野を持っていないといけないとの考えがアメリカ法学教育の重要な点であるため、学部で何か法律以外の専門をやった人をわざわざ入れており、法律をやった人をむしろ排除している。アメリカにならう必要はないが、意見書には「他学部の人も受け入れる」と書かれており、むしろ何か得意分野をもっている人を採らないと意味がないのではないか。
     
     アメリカのロースクールの場合は、実務法曹をプロフェッションとして養成するため、徒弟制度のような形で行われてきたが、徐々にアカデミックな世界に取り込まれ、大学院というプロフェッショナルスクールとして発展してきた。したがって、一般的な法学教育をそれ以外に設ける必要はなかった。他方、我が国の場合は、法的素養を備えた人を様々な方面に送り出す法学部があり、その中から法曹になる人を試験で選抜するという伝統の上に、新しい法曹養成制度をつくるということを踏まえ、議論していくことになる。生の問題とフィールドワークの関係にあって、その問題を法律的に解決していくことが法律学のあるべき姿であり、そのような基礎教育を受けてきた人を前提に、さらに専門教育を受けていくということが法曹養成の在り方としてあってもよい。
     
     アメリカでは法学部はないが、学部レベルで法学に関する科目はかなりあり基礎法学的なものが多い。入学者を見ると、学部段階では政治学専攻が一番多く、法律に関する科目をとっている。このように、ロースクールに入る以前にかなりの学生が法律に関する科目を勉強しているのが実態である。
     
     日本の法学部は、ある種の役割を果たしているといえるが、法曹というプロフェッショナルを養成するという点では中途半端になっている。プロフェッショナルの養成とそうではない法学部の役割を整理して考えていくことが必要ではないか。
     
     大学院に多少の得意分野が必要という位置付けが必要ではないか。他学部から来た人は既に何かの得意分野を持っており、そういう人達に対して法律を中心に教育を行うなどすることが必要であると思う。
     
     従来の法学部教育における理論的教育と司法研修所における実務的教育を架橋するところが法科大学院であるが、そもそも実務教育といっても理論的教育はもちろんあるわけで実務と理論の2項対立は必ずしも明確でない。また、学部段階での理論的教育とはいわゆるジェネラリスト養成のための教養主義的な教育である。法科大学院における理論的教育とは何かということによって、法科大学院のイメージも違ってくるのではないか。
     
     従来の法学教育の最大の問題点は、法的に加工された事実関係を所与の前提として理論的な問題を扱うのが中心である。したがって、教え方については事実に対する分析が大変重要であり、とりわけ、法科大学院では、求められる法曹にとって何が必要かという観点から教え方のウエイトの置き方に工夫が必要である。さらに、正解志向を排除することも意識し、事例や判例を扱う場合に答が一つでないことを常に意識させることが重要である。
     
     法科大学院には、従来の法学部の文化を持ち込むべきではない。法科大学院はプロフェッショナルスクールとして純化した形でなければならず、たまたま、学校教育法上の大学院に位置付けられているが、本質は違うのではないか。
     
     法学部においても、教育を重視して授業の内容を工夫し、かなり理想に近い教育をしてきた人が少なからずいる。法科大学院を大学院として設置する意味は、法曹養成に特化した教育であるとしても、その背景としては学問があり研究があり、それに支えられて初めて豊かな教育ができることである。意見書では、理論教育と実務教育という記述であるが、今まであまりにもそこが乖離してきた印象があることから、それを架橋することを意図されている。法科大学院の教育は実務との架橋を意識した理論的教育であり、法技能の修得だけではなく、実際に法を適用することを念頭に置きながらしっかりした理論教育をすることがあるべき姿ではないか。
     
     司法制度改革審議会の最終意見でも、決して理論と実務を2項対立のように捉えているわけではない。
     
     最終意見書には、公平性、開放性、多様性とあるが、法学部出身者以外の人や社会人がどれくらい入れるのか。おそらくスタートしてすぐは法学部出身者の人が圧倒的に多いのではないかと思われる。法学既修者のレベルが短縮コースのレベルに達しているのかどうか、法学部出身者と他学部出身者のカリキュラムが2年、3年と違い、分けて議論していくことが必要。
     
     これまでの法学部教育は様々な進路を目指すゼネラリストから司法試験志望者まで広く対象にせざるを得ず、いわば帯に短したすきに長しという面があった。法科大学院は、法曹に進む目的を共有し、強い意欲と潜在的な能力を備えた学生を適切に選別して、今まで以上に教育に力を入れた組織とするものであり、大学院として位置付けることは唯一の選択肢といってよい。ただ、これまで公務員法律職の養成との関係が整理されていない。学部の低学年段階では、自己の進路を確定的に決められない学生も少なくなく、迷いつつ勉強する学生の環境をどうするかも問題。いずれにしても、法曹を目指す者が、学部段階では、法学の勉強だけに力を入れ、それ以外の分野の学習はそぎ落とすということになるのは避けなければならない。法科大学院の入り口の選抜段階で、法学部出身者については、法学以外の分野を幅広く履修していることを評価する仕組みも考えられよう。
     
     法科大学院については、現在の法律家に欠けている国際化への対応や理科系の知識などを補うために、他学部からの入学が広く奨励される入学者選抜の在り方や他学部出身者を3年間で法律家としてしっかり育てる仕組みが必要。新しい問題に直面した時、法律家としてきちんと分析し解決していく能力を身に付けさせるためには、学生に受動的に講義を受けさせるのではなく、能動的に未知の問題に取り組んでそれの解決方法を身に付けさせるような教育を考えていく必要があり、今までの法学部教育と違うものであることを強調すべきである。
     
     入学者選抜の在り方については、伝統的な法学部の存在を前提に制度設計することから生ずる矛盾を解決しうる基準を打ち出すことが課題になる。教育内容・方法については、理想の内容・方法を示して従わせるのではなく、様々な方面から新しい教育内容・方法を生み出していき、良いものは広がるというような仕組みにするべきである。
     
     法科大学院では実務家を2、3割入れなければいけないということを聞くが、どうなるのか。
     
     専門大学院制度では、概ね3割の実務家を取り入れることとなっているが、法科大学院の在り方として教育をするのに必要な実務家の関与がどの程度かを独自に考え、一定割合の実務家も参加してもらうことになる。将来的には、法科大学院で教育を受けた人が、実務を経験して大学に戻り、研究能力も身につけ、大学で教えることが理想であり、少なくとも実定法科目を担当する人は法曹資格をもっていることが望ましい。
     
     日本は、アメリカとは異なり法学部があって憲法からはじまる法体系をきちんと教える能力をもっており、それを活用するという考え方がある。一方で、新しいロースクールでそのような教育を行うのかどうか。
     
     アメリカのロースクールでは、理論と実務とを両方同時に実体法の授業の中で教えている。良い実務家になるためには、法の歴史的背景、法の社会的インパクトなどの知識が必要であるが、そのようなポイントはロースクール教育の随所に出ている。また、アメリカのロースクールの教員になるのは、殆どがロースクールの卒業生で、大部分は実務経験2年か3年の者である。さらに、最近は経済学、心理学など法学部以外の分野の修士・博士号を持っている者も半分程度いる。
     
     法学部を有する大学が全国で94あるという前提の中で、法科大学院と法学部教育との連続性を活かすべきところは活かすと同時に、確固たる断絶も必要になるが、これについては法科大学院ができればおのずと社会の中で仕分けができていくと思う。法学部は当面存続するにしても、どのようにそれを転換させるかについては、各大学がそれぞれの伝統と政策に基づいて決断し進んでいくことが必要である。また、グローバリゼーションの世界で例えば日本法がどのように区分され動いているかという教育や、今日の法律と明日の法律は違うという視点に立った教育が行われなければならない。いずれにせよ、動きというのは社会とプロセスの中に委ねられており、設置基準においてもフレキシブルな考え方が必然的に要請される。
     
     意見書の法科大学院の教育理念、制度設計の基本的な考え方については、各委員でそれほど相違がないと考える。要するに、今後はプロとしての法曹になるという自覚を持って入った人に対してふさわしい教育を施そうということであり、具体的には、法科大学院において、基礎的な知識を備えることは当然の前提として、知識を詰め込むのではなく、考え方を鍛える教育を行うということである。
     
次回の日程
  次回は、10月1日(月)に開催することとなった。

 

(高等教育局高等教育企画課)

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