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中央教育審議会大学分科会

2001/11/12 議事録
中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第5回)

中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第5回)
     
日   時 平成13年11月12日(月)10:30〜13:00
     
場   所 文部科学省別館大会議室(郵政事業庁庁舎11階)
     
議   題
  (1) 教育内容・方法等
  (2) 教員組織等
  (3) 入学者選抜等
   
配付資料
 
資料1 法科大学院部会(第4回)議事要旨(案)(略)  
資料2−1 田中教授(京都大学法学研究科)説明資料  
資料2−2 アメリカ主要ロースクールの学生数・教員数の概要  
資料3 法科大学院の教員組織等  
資料4 法科大学院の入学者選抜の在り方についての論点  
資料5 大学分科会の今後の日程について  
     
(参   考)  
  参考1   大学院入学者選抜実施要項について(通知)  
  参考2   平成14年度大学入学者選抜実施要項について(通知)  

出席者       (  委  員  ) 佐藤幸治(部会長)、高木   剛の各委員
          ( 臨時委員 ) 石 弘光、濱田道代の各委員
          ( 専門委員 ) 磯村 保、井上正仁、太田 茂、奥田隆文、川端和治、小島武司
舘 昭、ダニエル・フット、藤川忠宏、藤田宙靖、牧野純二の各委員
          (文部科学省) 御手洗文部科学審議官、工藤高等教育局長、田中総括審議官、清水高等教育局審議官、板東高等教育企画課長、合田大学課長   他

議 事
 
 事務局から資料についての説明があった後、有識者より法科大学院の教育内容・方法等について、以下のとおり報告があり、その後質疑応答、意見交換が行われた。
(○:委員、□説明者)

【田中成明氏(京都大学大学院法学研究科教授)の報告及び質疑応答】  
報告事項:「法科大学院の教育内容・方法等に関する中間まとめ骨子(案)」(資料2−1)
 
法科大学院の教育内容・方法等に関する研究会は、司法制度改革審議会意見書で示された基本的な制度設計を踏まえた法科大学院の教育内容・方法等について、大学関係者で自主的な研究グループを組織し、現在まで検討を行ってきた。資料2−1はこれまでの検討状況を骨子案としてとりまとめたものである。
研究会メンバーは、それぞれが所属する大学の立場にとらわれず、各方面から提案されている構想を考慮しながら、全国共通の基準としてどういった内容が適切かという観点から、第三者評価基準および設置認可の基準について調査研究を行った。特に、カリキュラム全体の編成、教育方法、教員組織を先行して調査研究を行ったが、各方面の意見や前提条件の整備を踏まえつつ、今後引き続き検討を続けていくこととしている。
第三者評価基準については、ABAのロースクール認定基準に倣って基準と指針の二段階構成とし、基準は、意見書の内容を中心に原則として抽象的な規定にとどめ、指針は、具体的な数値など基準の具体的な運用に関わる内容を詳しく定めて適宜改定していくことが適切と思われる。他方、設置基準については、専門大学院基準など従来の設置基準の策定方針との整合性を確保しつつ、第三者評価基準とも実質的内容が重なるように配慮すべきことを前提に検討を進めている。
教育課程の在り方に関する基準は、法科大学院が、法曹養成に特化したプロフェッショナルスクールとして、一つの完結した教育課程と位置付けられていることから、3年標準型を中心に検討しているが、3年標準型と2年短縮型の併存が前提とされている以上、いずれにも共通して妥当するものでなければならないと考えている。
授業日数や単位の計算方法などについては、基本的には現行大学院設置基準の適用を前提とし、修了要件として、3年標準型は3年以上在学、100単位以上修得、2年短縮型は2年以上在学、70単位以上修得が必要と考えている。すなわち、週5日制で、1日当たり2時間授業を午前、午後1科目ずつ受講すると、半期で20単位、各年次40単位が修得可能であるということを前提とし、少し余裕を持たせている。
カリキュラム編成の基本的考え方は、法科大学院の教育理念や理論と実務の架橋の仕方について意見書の内容を踏まえた制度設計を考えた。特に、実務基礎教育については、司法修習との役割分担の在り方に配慮して随時見直すものとされていることを踏まえ、現行司法試験が並行して実施される期間が終了する時点に照準を合わせ検討し、移行期間中は充実した実務基礎教育の前提となる制度的、人的条件の整備を急ぐべきと考えている。また、第三者評価基準、設置基準については、教育内容の最低限の統一性と教育水準を確保しつつ、各法科大学院の創意工夫による独自性、多様性を尊重し、競い合うことによって教育内容の向上を促進すべきと考えている。
カリキュラムの骨子としては、法律基本科目群、実務基礎科目群、基礎法学・隣接科目群、展開・先端科目群に分け、各科目群の主な科目や教育内容を例示するとともに、必修・選択必修の最低総単位数のみを規定し、必修や選択必修の単位数の加重は、法科大学院の基本理念の実現を損なわない範囲内で各法科大学院の教育方針に委ねることが適切と考えている。
法律基本科目は、中心的な科目群であるため、60単位を必修とした。法律基本科目による法理論教育についても、理論的教育と実務的教育の架橋を実効的に図るような工夫がされなければならず、その内容、方法は従来の学部と異なることを当然の前提としている。具体的には、公法系10単位、民事系36単位、刑事系14単位としているが、添付資料の各分野のモデルや解説は、カリキュラム全体のバランスを考慮して作成したものである。
1年次、2年次の配当については、3年標準型と2年短縮型の修了要件の総単位数の差を30単位程度とすることにより一定の枠が間接的に設けられることとなるため、当初考えられていた基礎科目、基幹科目などの区別は基準や指針では規定せず、緩やかな仕組みとすることが適当と考える。また、各法科大学院において法律基本科目の単位数をある程度加重することを認めても良いが、司法試験の準備などのため法律基本科目群が肥大したり、実質的に法律基本科目群にあたる科目が基礎法学・隣接科目群や展開・先端科目群の中で開講されたりすることのないように、一定の歯止めをかけた方がよいと思う。
実務基礎科目群は6単位相当必修と4単位相当選択必修とすることとした。この科目群の教育内容には、法曹としての倫理感、責任観を涵養するものと専門的技能を修得させるものが含まれているが、両者が相互に重なり合い独自の科目として十分に分化・独立していないものもあるため、科目編成を現時点で細かく規定することは適切ではなく、ある程度の共通の理解が出来た時点で改めて基準、指針に取り込むという考え方が適切ではないかと考えている。このため、修得単位の規定方式としては2段階の構成にし、法曹の倫理に関する教育内容が2単位相当、法曹専門技能教育のうち、法情報調査に関するものが1単位相当、要件事実と事実認定の基礎に関する教育が3単位相当を必修とするが、それぞれを別個の科目として実施することは義務付けず、具体的な科目編成や配当年次などは、各法科大学院がそれぞれの大学の教育方針や教員の組織に応じて適宜具体化すべきと考えている。それ以外については、人的、制度的条件の整備状況を見定めながら各法科大学院がそれぞれの教員構成や地理的な条件などを考慮して、科目編成の仕方や実施方法などを創意工夫し、5年程度以内に、4単位相当の教育内容を選択必修として実施できるようなカリキュラム編成に努力することを義務づけることを提案したい。具体的には、例えば、法曹倫理は模擬裁判やロイヤリング、刑事訴訟法などの法律科目に付加することなどにより一体的に実施して理論的教育と実務的教育の架橋が図れるなど様々な組み合わせが考えられると思う。
基礎法学・隣接科目群は、4単位程度の選択必修制によって、学生が自身の関心に応じて一定単位数の科目を履修することが可能となるように相当数の科目を開講することを義務づけることが適当と考えるが、各法科大学院がそれ以上の単位取得を義務付けることを妨げるものではない。また、基礎法学と隣接科目群の各科目を満遍なく開講する必要はなく、各法科大学院が独自性のある科目編成をするように努めるべきであると考えている。
展開・先端科目は、各法科大学院の創意工夫による独自性、多様性が発揮される分野であり、各法科大学院は、修了者が裁判関連法実務だけでなく、行政、企業、国際関係など社会の様々な領域における法的ニーズの増大等に対応できるようにするための基礎教育の実施に努めるべきであると考える。展開科目と先端科目の両者は重なり、多様化していくことが予測されるので、基準、指針レベルで両者それぞれの科目数を定めることは不適切と考える。各法科大学院による独自性、多様性の発揮を促進するためには、概括的に総単位数の4分の1以上ぐらいをこの科目群に配当するのが適切ではないかと考える。
教育方法について、授業に適切な学生数としては、法律基本科目については50名から60名を標準とすることが適切と考える。最も難しいのは実務基礎教育の授業方法で、特に各科目の教員と学生の比率、あるいは実務家教員がどのような形で関与するかという形態については、実際、人的・制度的な条件がどの程度整うか、状況を見定めながら現実的に可能な方式を検討する必要がある。また、クリニックやエクスターンシップについては、単位認定の要件などを検討する必要がある。さらに、修了認定については、従来の大学院の修士課程のように論文やリサーチペーパーなどを要求せずに、小論文(レポート)作成とそれについての討議を伴う授業1科目(2〜4単位)の履修を義務づけることが考えられる。
教員組織については、専門大学院の基準も参考にしつつ、法科大学院の特殊性に配慮して定めるのが適切であるが、移行期における法科大学院設置を円滑にするため、当分の間、基準を柔軟かつ現実的に運用する必要があると考える。専任教員数や実務家教員に関する基準については、法科大学院設置後一定期間経過すると、教員の相当数が実務経験を経た教員となり、同じ教員が法律基本科目と同時に応用・先端科目あるいは基礎法学科目など複数科目を担当することとなることが考えられるなど、教育研究のスタイルの変化が予測されることを考慮して規定する必要があると考える。また、法科大学院にふさわしい充実した教育を実施するための教員の数と質を確保するための基準を策定することが重要であり、当分の間は個々の教員の負担が多少重くなるが、順次、適任の教員を養成し確保することを促進するような暫定処置を講じることが望ましいと考える。
専任教員数については、科目群間のバランスにも留意しながら、最低12名、教員と学生の比率は1:15として、専任教員を配置することを義務づけるが、当分の間は、その3分の1の教員は、学部や大学院の専任教員としても算入できることとする措置が適切と考える。専門大学院基準の1:10は米国ロースクールの認定基準と比べても高く、また法科大学院では個別的な研究指導は行わないことから、1:15に緩和することが適当と考える。
実務家教員について、専任教員の概ね3割以上が望ましいという専門大学院基準を法科大学院に適用することは、司法修習・実務修習を別に実施するという制度設計の下では不適切であるというのが大方の意見ではないかと思う。また、最新の実務に通じた実務家が法科大学院の教育に関与することを容易にするため実務家教員の任用形態を多様化、弾力化し、客員教員や非常勤教員を一定の要件の下で専任教員扱いとする処置を講じることが適切ではないかと考える。具体的には、学生数に応じて、全専任教員数の概ね2割程度以上は5年以上の実務経験を持つ専任教員を配置するが、当分の間は、その相当数は年間6単位以上の授業を担当し、実務基礎教育科目を中心に、法科大学院全体のカリキュラム編成と実施に責任を持って関与する客員教員、非常勤教員を専任教員とみなすことができるということが望ましい。相当数については、制度的・人的整備がどの程度進むかによって相関的に決まると思う。
第三者評価においては、専任の実務家教員数の要件だけを評価するだけではなく、客員教員や非常勤教員も含めて実務基礎教育をはじめカリキュラム全体における理論的教育と実務的教育との架橋が実効的に行われるために必要な実務家教員が確保されているかどうか、各法科大学院のカリキュラム内容や学生定員、あるいは地理的条件などを個別的に考慮して評価することを重視すべきではないかと考える。
   司法制度改革審議会をはじめ、旧文部省の検討会議や各方面から様々な意見が発表されているが、今回の田中教授の報告は、これらの意見を視野に入れ、現行制度との関係も勘案しながら精力的に検討がなされたものであり、当部会で全体像を議論する上での土台にしたい。


現行司法試験が並行して実施される期間が終了する時点での基準とのことであるが、移行期間の基準はどのようなものになるのか。


5年間の移行過程の問題は、主として実務基礎科目群に関連する問題であると思う。つまり、現行の司法試験に合格した人と法科大学院で教育を受けた人は同じ修習を受けるとすれば、教育内容の重複を避けるためなど、その期間においては一定の配慮は必要と思うが、他についてはあまり変わらないと考えている。


今回の報告を聞いて、全体像が示されたので問題点が整理しやすくなったと思うが、教育内容・方法と密接に関連する新司法試験のあり方についても、何らかのイメージがあれば教えてほしい。また、3年制をベースにカリキュラムを考えられたことは大変結構と思うが、2年修了に短縮する場合の1年目と2年目、3年目のカリキュラムの振り分けを各法科大学院が自由にできるとすると、1年目で免除される教育内容が各法科大学院で異なる場合も出てくるが、そうなると、2年目に入る人達の多様な選択肢を保証する上で問題が生じることはないか。また、教員組織について、教員と学生の比率が1対15ということ現状を踏まえた現実的な案であるとは思うが、果たしてそれで大丈夫か。確かにハーバード大学も教員1人当たりの学生数が16.8人となっているが、それでは多すぎるということで、現在ではその比率を下げようと努力している。効果が上がる法曹養成教育という点で十分な実績のない我が国で、1:15からスタートすることは、心配も残る。しかも、当分の間の措置として、3分の1の教員について学部や大学院の専任教員として算入できるとのことであるが、もしもその際に学部等と法科大学院の双方でそれぞれ専任教員1人としてカウントするとなると、実際には1:15の比率ですらなくなる。せめてこの点については、例えば2分の1ずつでカウントするといった指針を示しておく必要があるのではないか。


司法試験の内容については、法科大学院で十分な内容・方法の教育を実施し、それを修了した人の相当数が受かるものであるべきだと考えており、筋論から言えば、法科大学院の教育方法、内容を勘案した上で考えることは当然だと思うが、現実問題として、司法試験の在り方次第によって法科大学院のカリキュラムは歪んで行くことも十分有り得るので、この点については、司法試験の実施に責任のある方々がきちんと対応されるものという前提で考えている。また、1年次と2年次、3年次のカリキュラムの割り振りについては、3年制の1年次を修了した者と2年短縮型の入学者とが同レベルに達しているとする必要は必ずしもなく、3年制については3年の学習が終わった段階、2年制については2年の学習が終わった段階で修了者全員が同レベルに達することが必要であり、制度設計として2年短縮型だけは有り得ず、3年制と3年・2年併存制で行うということを前提とすると、どのような割合で各年次にカリキュラムを振り分けて教育を行うかについては、各法科大学院が一定の単位数の枠内で創意工夫してトータルとして選択していくことが適切と考える。教員組織については、最初から基準を緩めるという発想ではなく、質の良い教員を確保し充実した教育体制を整備する上で必要な基準を定めることが必要であるが、人材が不足したり制度が成熟していない段階で、あまり厳しい基準を適用してしまうのは適当ではないと考える。このため、法科大学院で教員も養成しつつ徐々に理想的な基準に到達させることとし、その間の船員教員の必要数は実質上減らすなど移行しやすい形を考えたものである。


法科大学院においても、各大学から様々な特色が出てくることを期待すべきである。今回の報告の4つの科目群や法律基本科目の各分野毎の取得単位数はあくまで1つのサンプルとして、各法科大学院でかなりの裁量権を持ち、様々な取組ができると考えるが、裁量の幅はどの程度か。


科目については、各方面から提案された区分を可能な範囲で共通化し、大括りの基準を考えたものであり、大枠として第三者評価の基準や指針を策定する際に、これがベースとなるものと考えている。各法科大学院それぞれが個性を発揮することは重要であるが、ある法律基本科目だけが肥大化するなどのような問題も考えられるので、カリキュラム全体のなかで各系列に配分する単位数のバランスについてミニマムとしての基準は必要であり、その枠内で出来るだけ裁量の幅を広げていくことになると考えている。


ロースクールでの必修単位数がこんなに多くて良いのかという意見があるが、公法系の場合には、憲法・行政法を従来通りに単位を積み上げると収まり切れないので、一番合理的に積み上げたということであるが、民事系、刑事系の場合には、刑法、商法、民事法のような既存の科目ごとに積み上げている。実務に出てくる問題に対処してものを考えることを教えるのであれば、実際の実務は民法の実務、刑法の実務という形ではなく、様々な分野のものが一緒になって出てくるはずだと思うので、一つ一つ積み上げ的に行っていくことが本当にロースクールの教育に合っているのかどうか。カリキュラムの組み方の問題として全体の単位数の問題も含めて、これで良いのか、根本的な点を考える必要があるのではないか。


各科目の単位配分は、公法系のみならず、民事系についても従来のオーソドックスな民法編成からは大きく変わっており、刑法についても総論、各論合わせて6単位ということで色々工夫した。各分野において、最低この程度を行わないと法科大学院に期待されている教育が実施できないというのが研究会の先生方の意見であった。


民事系で全必修総単位数を36単位にするということは一応の基準として考えられるが、36単位をどのように分けるかについては、各法科大学院に裁量があるということを確認したい。その上で、例えば取引法に関する民事法演習を考えたときに、民法の契約法と商法の商取引法、商行為法、保険法等を含めて一緒に行うなどの可能性は十分に有り得ることであり、民事法系について、そのようなバリエーションを考えると、無限にあり得るので、1つのあり得る可能性としてモデル案を考えた次第である。既存の科目を統合するという公法系の発想というのは民事系でもあり得ることであり、検討に当たってはエッセンスをどのように取り込むかという理解が必要であると思う。


民事系科目の取得単位数がやたら多いと思われるかも知れないが、実務的な問題をこなすにも、先端的な科目を勉強するにも、基本は民法的な発想であり日本の法体系の基本というのはそのような形に作られて来ていると思う。このため、民事系についてきっちり教育しないと、先端的なことを議論するときに場当たり的に知識を当てはめるだけのものになってしまうので、このような単位配分になっているのではないか。刑事法、民事法、公法の中でも色々な組み合わせ方があり得るので、完全に積み上げでなく最初から荒海に投げ込むようなやり方も可能なような基準作りをして、色々なことを行ってみて科目間の対応性を明確にさせるとともに、良い方向を見つけるのが基準の望ましい在り方ではないかと思う。


100単位は最低基準であるがゆえに、各法科大学院で120単位などに増えてしまうのではないかと心配である。例えば、法律基本科目については最低60単位であるが、民事系では36単位では足りないという意見により単位数をある程度加重するとした場合に、他の科目群以外で充てるとすると、全体の100単位を必然的に増やすということになる。最低基準を定める必要はあると思うが、特に60単位についてはこれを減らすことは本当に不可能なのかどうかと思う。


各法科大学院が特色を出すためには、100単位から更に積み重ねるという発想ではなく、先端・応用科目の中で行うという考えである。先端・応用科目の4分の1という単位数が少ないというイメージがあるかもしれないが、例えば、企業法務、渉外法務などで25単位以上行うとすると半年以上それに専念することになり、これは、日本の基準からすると、各大学に相当の選択肢があって、将来、金融法務や企業法務の専門家になるためのカリキュラムを責任を持って編成するには十分な単位数だと考えている。


報告では、国際化への対応という観点は抜けており、この点については各法科大学院の独自性で対応することと思うが、何らかの形で触れた方が良いのではないか。また、企業法務の関連では、現在は国内問題と海外問題とを区別できずボーダレス化してきており、日本の企業は、国際競争力のない限りは日本でも海外でも生き残れない状況の中にあるが、国際化についてどのように対応するかについて、法曹資格取得後に弁護士実務において行うと割り切るか、あるいは、ある程度ロースクールの中で取り入れて行くのか、何らかの形で触れてほしい。


実務の基礎は、従来の裁判法務だけを前提にするのではなく渉外や行政なども含むことを前提にしており、国際関係を無視した企業法務はほとんどあり得ないことを踏まえると、展開科目、先端科目の中でこれを取り上げるのは当然の前提と考えている。


大きな企業法務部を持つ大企業では、法務部員の半分以上が英語が話せて英米法が分かり、海外との法律問題が起きれば日本の弁護士ではなく海外の弁護士事務所を直接活用することができるが、日本の市場全体が国際化してきているとなると、英語でリーガルタームなどが分かる者が少ないと思われる中小の会社が、例えば特許などで海外から訴えられた時、一体誰に相談したら良いのかというところが不安である。


法的問題を考える思考力を養うために最低限の一定の時間が必要であろうという観点からみると、公法系、民事系、刑事系がある意味でエッセンスだけになっていて、これだけの単位数で基本的な知識が身につき、かつ法的思考力も身につけられるのかという懸念は拭えない。基礎的な部分を身につけさせ、一方で国際化も含む幅広い法分野に対応出来る教育の充実は、法曹養成機関として当然必要と考えているが、法律基本科目分の60単位というのは、様々な教育方法・内容の工夫が凝らされているにせよ、不足していると思う。また、法科大学院には法学未修者が入ることを考えると基礎的な部分を軽視すべきでなく、プロセスとしての法曹養成課程の中で、法科大学院と司法修習との役割分担を考える意味でも基本の部分の教育指導を充実することは、足腰の強い法曹を養成することにつながっていくと考える。


法律基本科目の60単位を必修にすると、国際化へ対応した教育等を自由に展開する法科大学院が出来なくなるのではないかと強く懸念している。50単位程度を必修にして残り10単位程度は法律科目を積み上げても良いという基準なら納得出来ないことはない。つまり、在来型の裁判中心の法律実務家の養成を考える法科大学院では法律基礎科目を60単位と設定することとし、そうではない企業法務や国際法務などに重点を置くなど特色を出したい法科大学院については、基本的な法律科目は50単位にし、むしろ先端科目、展開科目を中心としたカリキュラムを考えるようなやり方を許すべきではないか。要求されているのは法律家がもっと幅を持った実務家に育ってくることであり、どのような教育にどれくらいの単位を与えていたからという従来の発想から自由にならない限り、新しい法曹教育は考えられないと思う。法科大学院では、法律知識をどれだけ触ったかというような範囲は狭くなるが、法律的な考え方自体は十分教えられるし、また教えなければならないと思う。学生が能動的に参加でき、目指すものは法律的なものの考え方の修得であるということに教育方法の考え方を切り替えれば、単位数は少なくしてもより充実した教育を行うことができ、応用力のある法曹が育成できるのではないか。


科目については、基幹科目、基礎科目を基本法律科目の中に入れて考えることは避けがたいが、問題は科目の展開をどのように考えるかであると思う。実務の第一線で間違いのない裁判や法的サービスを提供するという実践の場から言えば、担当に応じて相当のオールラウンドの知識がないと裁判誤判や、弁護過誤に結び付くという心配があることは、切実な問題であると思う。単位の積み上げの問題は各分野によって色々な意味があり、重みのある問題ではあるが、法科大学院のカリキュラムの中で良い法曹を育てるにはどうすれば良いかという中で、新しい方式を考える必要がある。統合方式などの工夫の中で、それがどういう意味を持つのかを詰めることが必要であるし、教育方法をどのように考えるのかも重要である。実務家の姿を考えると、法科大学院で全部身に付けさせたいという気がするが、後に司法研修所の教育やオンザジョブトレーニングがあることを前提にすると、いかに成長力があり、核心を突く思考法が出来る人間を育てるかが重要となる。教室外の学習や法科大学院修了後の学習などの教育プロセス全体の中で、法科大学の役割をどこに設定すべきかが大事であり、そうすることにより相反する正当な要求を満たすことができるのではないか。体系的という言葉の意味についても、考え直す必要があると思う。いずれにせよ、この問題は何年か法科大学院で教育をしていく中で解決する以外にないのではないかと思う。


非法学部出身者、社会人、家庭の主婦が1年間で司法試験の短答試験に受かり、2年間で論文試験に合格するような教育を看板にしている予備校がどのような教育を行っているかを知りたいと思い、1年間授業を受けたところ、例えば、民法の場合は、パンデクテンの体系を全部バラバラにしてしまい、契約がどのように始まり終わるのかなど、総論で抽象的なことから始めるのではなく、具体的な事例を取り上げて行っていた。今までの体系的理解の感覚を引きずっていると、例えば、民法をこれだけ教えるのにこれだけが必要であるとなってしまう。教育のブレイクスルーと新しい革袋が必要なのではないか。その意味では、公法の統合方式のモデル案は、今までと違った形に変わって行くものであり、それこそが求められているものではないかと思う。


今までの単位の数え方は適正ではなかったという前提に立たないと単位数が多いか多くないかの議論は間違ってしまう。すなわち、1単位とは45時間分の学習の意味であり、授業時間数の問題ではないというのが本来の規定である。この45時間は1週間分の学習量であるが、週5日8時間、土曜日5時間の学習時間とすると、1日当たり8時間は、8時間労働で分かるように通常1日に大人が集中出来る勉強量である。また、2学期制の1学期は15週であるから、課すことの出来る単位は15週間分しか課すことはできないはずである。さらに、講義でも演習でも45時間のうちの15時間〜30時間を授業に当てて良いとなっており、講義の時間を2倍にして実習時間を半分と想定すれば講義の時間が多い授業も含めることもできる。したがって、現在2単位として行っている授業は本来その2倍の自習時間を課さなければならないにもかかわらず、その意識もなしに伝達型の講義がなされており、このような今までの教育方法で講義の時間が減らされてしまうということであれば、45時間のうち30時間を講義にじっくり費やすような授業にしても良い。そのような目でみると、法律基本科目で60単位を課しているということは、2年分は基礎法学を行うということに読めるがそれで良いのかどうかと思う。また、100単位は、モデルとしては何か切れがよくて良いが、単位の考え方からすると、標準何時間分の学習を課しているのかについては曖昧な数字となっている。つまり、15週を標準にすると最低基準の単位数とは、その倍である90単位となっていたり、実際には2単位など偶数で授業単位を組むと15単位は切れが悪いことから、アメリカのように16単位などを課すとすると16単位の積み上げで96単位などのような数字が設置基準上は出てくるのではないか。


要件事実と事実認定の基礎教育を法律基本科目の中に解け込ましても良いというのは、司法修習との役割分担から見て現実的と思うが、この場合の3単位相当分が60単位の内数になるのか、外数になるのか。つまり、60単位全体の中で自主的に3単位程度はこのような要素を加味した教育を行えば良いという趣旨なのかどうか。この点は検討の余地があると思っている。


法律基本科目に付加するという考えで外数であり、合わせると63単位になる。これについては、実質的な評価にかかわる問題もあり、カリキュラムやシラバスも見て、民法、民事訴訟法などの授業に、要件事実や事実認定の教育が相当部分組み込まれているという形であれば、あわせて3単位と認定するということも考えられるのではないかと思う。


教育方法を改善する必要があることについては同意見であり、情報プログラムの開発などそれぞれの大学が工夫すべきと思う。特に展開・先端科目については、4分の1程度のウェイトを置くように枠組みが設定されており、社会のニーズに合った教育を行うため各法科大学院が独自性を出そうと努力することとなると思うが、心配しているのは司法試験との関係である。新司法試験が、従来の発想の延長線により必修科目か選択必修科目中心の科目構成になった場合に、展開・先端科目の部分を一生懸命教育しようと思っても、それが司法試験でチェックされない仕組みの中では、学生はまずここを手抜きの対象にするということは当然考えられる。また、新司法試験が3年目の終わりの辺りに実施されるとすると、展開・先端科目が置かれる第3年目には、学生は司法試験が気になり落ち着いて勉強が出来ないようになると思う。全体ではバランスが取れたカリキュラムを提供していても、学生の動機からすると非常に偏ったものになってしまうという心配がでてくる。これらの問題を、新司法試験の設計に当たってはよく考慮してほしい。


総合的な日本の教育改革をどうするかという観点からも、司法制度改革の一部であるロースクール問題を考えてほしい。平成3年に設置基準の大綱化により、各大学の自主的なデザインによって学部の新しい構想を練ったりすることなどができるように自由化されてきていることも踏まえると、確かに法曹養成という特殊な分野については設置基準等で枠をはめざるを得ないところはあるが、相当程度の自由度を持たせる独自性・多様性を認めた学校のデザインを認める方向で制度を制定すべきではないかと思う。例えば、具体的には、法科大学院が養成する人達の中には、司法試験に受からなくても、代わりにUSCPA(米国公認会計士)やMBAを取るようにするなど、様々な仕掛けが学校のデザインの中に採り入れられることを可能とするような設置基準としてはどうかと考える。また、学生たちが狭い意味での司法試験合格だけを狙ってそれ以外の科目は結局履修しないという事態が起こりかねないという意見があったが、最も心配すべきは人間、社会、教養という本来法曹が本当の意味でしっかりと身に付けなければならない素養をどこで教育するのかという問題であり、これを設置基準の中では強くサジェストしつつ各学校の判断に任せることが適当であると思う。その点で問題になるのが、1単位45時間のうち30時間行うべき自学自習を学生は行わないということを前提にして議論していることである。従来の学校教育はその点を諦めきっており、一般の科目では授業時間枠の取り合いで教員は何とか勝負をつけようとする形でやってきたが、法曹養成の教育では、自学自習分の時間を自分の判断で主体的に手や頭を動かし本を読むという努力ができる若者が殆どいなくなったという社会が出来上がっているがゆえに、45時間のうち残りの30時間は多分予備校に行って勉強するであろうという事態が想定される。その点も含めて新しい法科大学院のデザインの中で新基軸を打ち出すところがあってもよく、極端なことを言うと、予備校と提携してうまいアイデアを出す学校があってもよいということまで我々は想定しておかざるを得ないのではないか。要するに日本の教育改革を思い切ってここでやるという観点に立って発想の転換をしない限り、結局は従来と同じ悩みを抱えて行くことになるのではないか。


単位数については、少し考え直す必要があると思う。その場合、特に従来の法学教育のあり方を抜本的に変える必要があることが、法科大学院構想の背景にあるが、単位の多いか少ないかについては、実際に教育を行ってみて決めざるを得ないところがあり、各大学が従来のノウハウを活かして創意工夫をして効果的なやり方を競い合って落ち着くところに落ち着くこととなるのではないか。また、展開・先端科目のチェックの仕方については、確かに重要な問題でありシラバス等で教育内容が盛り込まれているかなど第三者評価という形でチェックを掛けた方が良いのではないかと思う。さらに、最後に指摘された司法改革と同時に大学の教育改革の問題であるという点は非常に重要な問題である。すなわち、単に法科大学院だけの問題ではなく、従来の学部教育、大学院教育と連動しているところがあり、法科大学院を作って法学部以外の学部の出身者を大量に法科大学院が吸収するというシステムになると学部や大学院は相当変わっていかざるを得ないので、制度設計に当たっては大学の教育研究システム全体にどのようなインパクトを与えるものであるかを全体的視野の中で詰めていく必要もある。そうなると単位数だけに的を絞った議論はほどほどにし、中身で勝負をするという議論を次の段階では進めていくことが重要であると考えている。


今回は他に専任教員、教員と学生の比率の問題もあるが、今回の報告の内容を手がかりに議論を進めていきたい。単位数の問題について意見があったが、教育改革の観点、つまり受身的な授業ではなく必死に勉強させて考え方を鍛えるという考え方を実現するという意気込みは必要であることには異論がないと思うので、そのような観点から単位数を考えた場合に、単位数が多くても工夫の余地がないかとか、全体的に考えた時に学生の鍛え方によっては置く単位数が懸念されることにならないかもしれないので、もう少し考えていきたい。また、厳格な成績評価についても、従来であれば受身的な授業を行っていてもたくさん司法試験を受けて合格すればよいという感覚があったが、法科大学院では、必死に勉強させて必死に教えて、その結果として少数の者でも不合格が出るということになればそれも評価としてあり得るのではないか。法科大学院の教育を受けて不合格が出ることは非常に重要な問題であり、教育方法も含めて考えていく必要があると思う。次回は、入学者選抜について、東京大学の伊藤眞教授にお話し頂きたいと思っている。

次回の日程
  次回は、11月26日(月)に開催することとなった。



(高等教育局高等教育企画課)


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