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中央教育審議会大学分科会

2002/01/22 議事録
中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第9回)

中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第9回)
     
日   時       平成14年1月22日(火)14:00〜16:00
     
場   所       文部科学省分館(旧国立教育会館)201、202会議室
     
議   題
  (1)   法科大学院の設置基準等について/中間まとめに向けた検討
  (2)   その他
   
配付資料
 
資料1 法科大学院部会(第8回)議事要旨(案)(略)  
資料2 法科大学院に係る最近の新聞報道(PDF)  
資料3−1 大学等における社会人受入れの推進方策について(答申案)
(中央教育審議会大学分科会(第6回)資料2)
 
資料3−2 大学等の設置認可制度に関する主な論点例
(中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第4回)資料2)
 
資料3−3 規制改革の推進に関する第1次答申
(中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第4回)資料3、内閣総合規制改革会議答申)
 
資料3−4 大学評価について(PDF)  
資料3−5 特殊法人等整理合理化計画について
(日本育英会関係抜粋)(閣議決定)
 
資料3−6 司法制度改革推進本部法曹養成検討会(第1回)配布資料
(資料1,2,7,8,9)
 
資料4 中間まとめに向けた検討課題例(案)  
資料5 大学分科会の今後の日程について  

出席者 (委      員) 佐藤幸治(部会長)、高木   剛の各委員
    (臨時委員) 石   弘光、濱田道代の各委員
    (専門委員) 磯村   保、井上正仁、川端和治、黒川弘務、小島武司、藤川忠宏、藤田宙靖、牧野純二の各委員
    (文部科学省) 御手洗文部科学審議官、工藤高等教育局長、清水高等教育局審議官、板東高等教育企画課長、合田大学課長、戸渡学生課長、山根私学行政課長   他

議   事
   
   以下の事項について事務局から説明があった後、質疑応答、意見交換が行われた。
   (○:委員、●:事務局)
   
【大学等における社会人の受入れの推進方策について】
   
  法科大学院においても社会人等の一定枠受入れの問題があるが、この答申案では社会人をどのように定義しているのか。社会人と学生の限界が従来に比べると随分流動化しているが、長期履修学生については希望があれば普通の学生でも適用することができるのか。
   
  社会人の定義については、答申案に書いているように職業や家事等に従事しつつ大学等で学ぶことを希望する人々として、広くとらえたいということである。長期履修学生については、通常の修業年限在学することを予定していた学生が、何らかの事情により長期履修学生への切りかえを希望する場合、あるいは逆の場合も考えられることから、弾力的な制度設計にする必要があるという内容になっている。
   
  米国においても、Ph.dの学位を持っている教員が多いが、ロースクール、メディカルスクール等の専門職業人養成のための大学院では研究者の養成ルートについては大局的にどのような位置づけが今後なされていくのか。
     
   大学院では研究者養成や高度職業人養成などさまざまな目的等があり、その課程の具体的な在り方については今後幅広く議論する予定である。
     
   これまでの法学部の実態として、まだ司法試験に合格する自信のない者や受験したが落ちた者などが留年するということがあり、長期履修学生が導入されると、これを利用する者が出てくると思うが、法科大学院において、このような長期履修学生を利用する者が出てくるという状況になったときに、法科大学院の趣旨に鑑みその利用について厳しく見ていくのかどうかという問題が生じると思う。また、法科大学院において1年制コースは制度化すべきではないとしているが、それとは別に2年制コースで非常に優秀だった場合に1年で履修を終える者が出てくることも考えられるので、検討に値するのではないか。さらに法科大学院において通信制を認める場合でも、どの程度真剣に取り上げていく必要があるのか、あるいは特別な配慮が必要になるのではないかということについて議論する必要があるのではないか。
   
   大学院修士課程の入学資格について、学校教育法施行規則では、大学院において、個別の入学資格審査により、大学を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者で、22歳に達したものとしているが、この条項を法科大学院においてどのように扱うかを議論する必要があると思う。
   
   意見書においても法科大学院の受験資格は、通常の大学院入学資格が適用され、学部を卒業していない者であっても、各法科大学院が行う資格審査によって出願資格の認定が可能であるとしている。
   
   骨子では、いわゆる1年制コースなど短期の標準修業年限を可能とする制度については、法的思考力を鍛える場であり教育方法も少人数教育を基本として双方向的・多方向的で密度の濃いものとされている法科大学院については、その必要単位数を勘案すれば、当面制度化すべきではないとしており、1年制を認めることについては、将来の課題ということで理解している。長期履修学生の問題については、法科大学院としてのあるべき姿を考えるという観点から検討すべきだと思う。
   
   
【大学等の設置認可制度に関する主な論点、規制改革の推進に関する1次答申について、大学評価に   ついて】
   
   アメリカ等の国々でアクレディテーションの評価が非常に悪かった場合には、どのような措置がとられているのか。また、量的にどの程度のものなのか。
        
   アメリカにおいてはアクレディットが、例えば5年置きで定期的に更新されていくという状況になっており、アクレディットを受けられなかったときは、その状況をチャータリングを行った州政府に通知をし、それを受けた州政府が場合によっては設置認可を取り消すといったことを制度的に可能にしている。アメリカの場合と似ているが、ドイツの場合は、チャータリングとアクレディテーションは必ずしも連動はしていない。イギリス、フランスについては、いわゆるアクレディテーションではなく、設置認可とも完全に連動はしておらず、むしろ資源配分などに活用されているという状況である。具体的な措置の事例については、調べた上でご報告したい。
        
   総合規制改革会議は、教育面に関してもかなり専門的なところについて方向性を示唆しているが、文部科学省としてはどのようにこの動きに関与しているのか。
        
   総合規制改革会議においてはワーキンググループをそれぞれの分野でつくり議論していたが、その過程で関係省庁の意見を聞く場をつくっていただいている。総合規制改革会議で議論されている方向性については、大学分科会の将来構想部会にもその項目などをお示しをし、そこでいただいたご意見を、総合規制改革会議にフィードバックしているところである。
   
   アクレディテーションについての参考になる諸外国の例が少なく、実際の運営上の問題や果たしている機能に関する資料が十分にないことから、現実を踏まえた調査をしなければ評価機関は形式的なものになりやすいということもある。これについてはどこかで具体的な検討又は調査をしているのか。
   
   調べたところでは、ドイツが1998年の高等教育大綱法の改正により、学位の国際的な通用性を確保していくという観点からアメリカに近い形の新たなアクレディテーション・システムを取り入れたとのことである。アメリカ、イギリスなどについても何度か調査に行っているが、世界的に見て、まだ十分に参考になる事例を網羅的に調査をしたという段階ではない。今後は、関係ある国際機関とも連絡をとりつつ精査していきたいと思う。
        
   国立、公立か私立かで問題の在り方も異なるが、私立大学の場合のように、いろいろな問題が現実のものとして出てくることにより、この制度の意味が特に強く表れると思う。将来的に見ると、資料を豊富にし、その中で我が国としてどういう方針を立てたらよいのかということを検討すべきではないか。
   
   
【特殊法人等整理合理化について、司法制度推進本部法曹養成検討会(第1回)配付資料について】
   
   法科大学院の評価基準については、大学・大学院の第三者評価スキームと関連しているということを考えていかなければならない。設置基準自体は、かなり外形的な基準となるが教育方法や単位の上限設定などの内面的な部分に連動していることから、本部会でもこの部分について議論し最終的な評価基準に反映させていくことが非常に大切だと思う。ただし、法科大学院の評価については、その評価機構をどのようなものとして位置付けるかや、大学の教育機関としての第三者評価と新司法試験の受験資格の付与と関連していることなどの特殊性があり、新しい法曹養成システムの中の重要な要素として位置付けるとすれば、法令上の位置づけをどうするのかを整理した上で議論しないと非常に難しい問題が生ずると思う。その整理については、司法制度改革推進本部で行い、部会では設置基準の策定に向けた議論をしていくものと理解しているが、評価基準は設置基準と連動していることから、これについても部会で実質的に議論を行うものと考えている。
   
   法科大学院については広く議論しながら、理想としては、それぞれの項目のうち、部会においては設置基準に該当するものを拾い、法曹養成検討会においては評価基準に該当するものを拾っていくという姿におさまればよいと思うが、議論がばらばらになったときにどのように収斂させていくのかについては確かに重要な問題であると思う。法科大学院の設置基準と第三者評価については、大学における教育の質の維持のためのシステムとの整合性について十分議論しなければならないが、受験資格との関連や法曹養成の観点からも、いろいろ工夫しなければならないのではないか。
        
   総合規制改革会議の第1次答申の基本的な流れとしての事前規制を緩和するということと、事前規制と第三者評価によって総合的に大学の質を高めていくこととの整合性をどう図っていくのか。事前規制を緩和して、事後規制によってチェック体制を強化するという考え方に立つならば、実質的には事前規制が無力化しても構わないということになるのではないか。また、本部会で議論している設置基準が、従来の設置基準に比べて、準則化という意味で先取りしているという点があるのか。それは従来どおりの運用や政策的な配慮を入れた設置基準と同じような水準のものなのか。
   
   総合規制改革会議では、設置認可という事前規制のところで教育体制等をチェックし、設置後はむしろノーチェックであるという規制のあり方が適当かどうかという議論があり、総合的に規制のあり方を見直していく中で、事前規制は最小限のものとし、事後的なチェックシステムであるアクレディテーション・システムの詳細な制度設計について提言されているところである。事前規制については、できる限り客観的なものにし、品質や水準の保証のほかに、今までの分野規制や総量規制あるいは地域配置などの政策的配慮があったものについて見直しする必要があるということが指摘されたところである。そのような意味では、一方的に緩和すればいいという議論ではなく、むしろ大学の質を担保するためには現在のシステムがこもままでよいのかが強く指摘されている。準則化については、総合規制改革会議で指摘されたかなりの部分が、設置基準ではない大学設置学校法人審議会が定めている取扱方針等の内規を整理することや、これらに政策的な要素があるのを見直した上で、一定の基準を満たせば認可をされるというシステムにしていく必要があるのではないかということである。設置基準の準則化について専ら議論されたのは、校地基準のみである。
   
   設置基準等に書いてあることが不透明であるということを整理していく必要がある一面、他方では例えば大学院設置基準要項に書かれている別表に定めている研究費の規定など、内規に書かなければならないものもある。
   
   法科大学院の設置審査の段階で、政策的な配慮も含めて裁量的に認可されるのではなくて、準則主義的に取り扱われるということは歓迎すべきであるが、そのことと、将来の法曹人口と司法試験の合格率について司法制度改革審議会意見書のなかで目安となる数が示されていることとの関係は、どのように理解したらよいのか。この関連性については、法曹養成検討会でも意識しながら議論されることになるのか。また、準則主義を採用する場合にも、法科大学院の入学者定員が相当数確保できそうな見通しが立ちつつあると判断して、高い教育内容を目指して厳しい規制を課すという観点と、十分な数の法科大学院を確保するために、基準を緩和して設置しやすいようにするという観点があり、現在は後者の立場に傾いているように思われるが、将来の日本で望まれる法曹人口や新司法試験の合格率を考慮し、予想以上の設置が見込まれる場合には、将来設置基準を見直すということはあり得るのか。
   
   意見書に書かれている新司法試験の合格率というのは、法科大学院の教育の質が新司法試験の合格率が七、八割となるくらい高度の教育をするということである。合格率が七、八割ということが先行すると、質の低い者でもそれだけ合格させる、または逆にどんな高くても切らなければならなくなり、現在の司法試験のボトルネックと言われているものに変わらないということになるので、意見書に書かれている新司法試験の合格率は教育目標としての数字だと思う。また、合格者数の3,000人という数字も、現在のような頭打ちなっている状態を打破していく当面の目標であり、これで終わりにするということではないと思う。それは法科大学院の制度を中心として新しい法曹養成制度が定着し、質のよい法曹を輩出していけば、需要との関係でも変わりうる数字だと思う。量的なものが先にあり、それに合わせて基準の高低を考えるという発想はすべきではない。司法制度審議会でも、一定程度の質を維持するために最低限の共通基準は定めるが、それに適合すれば自由に設置できるということを基本的な趣旨としている。
   
   司法試験でまた合格者数を絞らなければならないという事態になった場合、司法制度改革は全部おしまいだと思う。法曹人口を十分に拡大させ、利用者が被害を受けない程度の質が保証される教育をプロセスとして実現することが改革の最大の目的にならなければいけないと思う。アメリカの法曹養成制度のよいところは、学生が司法試験のことを全く意識していないところだと思う。司法試験については、法科大学院が修了した後に州法などを勉強しほとんどの者が合格している。日本においてもそのような制度にするためには、司法試験で七、八割が合格させても構わないような教育の質を確保することが重要だと思う。そのためには、第三者評価基準をどう考えるかが重要になってくるのではないか。
   
   アメリカの制度はレトリックであり、不都合が生じた場合試験等でコントロールすることが、日本の法曹養成制度と理解している。
   
   新司法試験の合格率はどんなに頑張っても七、八割程度であり、100%合格するということはないと思う。理由としては、ある能力が正規分布しており授業等についていけない人がいるということだけではなく、法曹養成という一つの尺度では評価に値しないが、別の能力を持っている人が入ってくる可能性もあるのではないか。今回の司法制度改革の中で目を向けなければならない新しいこととして、例えば国際法務のような新しいニーズに対応する人の養成もあると思う。大学設置認可の仕組みは、設置基準を満たせば認可するということであるが、例えばアメリカのCPAの取得を目指す人や、中国法務や英米法務など企業の法務部門で働くことを目的にしている人の養成も含めて学校設計をしたときに、法科大学院の設置認可とともに、例えばそのような部分についても認めるという柔軟性を制度設計の中に入れておいたほうがいいのではないか。
   
   日本のコンテクストの中で質というものは非常に多義的であり、これをどう考えるかが重要だと思う。例えば、即戦力的な法律的な知識がないとなければならないという方向に制度が運用されやすいという危険性などが存在すると思う。客観的と考える意識の中にも潜んでいる従来の伝統を引きずったバイアスみたいなものを絶えず検証しながら、質の問題を考えていくことが、法曹養成検討会でもこの部会でも必要ではないか。質の明確性というものが、今後、非常に大切になるのではないか。
   
   法科大学院は、まさに法曹養成を目的とする大学院であるということから、すべてを考えていく必要があると思う。それに応えられる法科大学院をつくれるかどうかは、まさに日本人の力量が試されるということなのであり、これができなければ日本はだめだということだと思う。一応法科大学院の課程を修了した人たちをどう考えるのかという問題については、今後どこかで理論的に考える必要がある課題であり、最終報告までにもう少し考えたいと思う。本来資格試験であるにも関わらず、1.5%〜2%しか合格できないという司法試験のシステムをずっと維持してきたことは、真剣に反省すべきである。
   
   法曹養成検討会の資料の第三者評価(適格認定)の論点では、教育研究上の基本組織については大学院設置基準と同じ内容とするとなっている。大学院設置基準の中で法科大学院は独立大学院と専門大学院の両方にまたがったような性質を持っているが、このいずれとも若干違うところがある。設置基準を作る際に独立大学院と専門大学院の大事な部分を取り出したものを新たに作るのか、専門大学院で全部読みかえられるようにするのかを決めなければならない。そのいずれの方法をとるにしても、法科大学院の具体像の中では、例えば企業の法務部等で働く人の養成などについても考慮しておかなければならない。100%司法試験に合格するということを前提にしては制度はつくれないと思う。
     
   現在の司法試験の勉強ばかりさせてしまうような法曹養成制度を前提に考えると、市場に出たときに大丈夫かという感じを強く受けるが、これはそのような人たちに基礎的な能力等がないということではなく、現在の法曹養成の教育システムに問題があるのだと思う。法科大学院では、このような人たちに適正な教育を施すことにより、市場に出ても対応できる法曹に育てることを目指さなければならない。その目標が合格者数の3,000人であり、合格率の七、八割ということだと思う。現在の状況を鑑みると、設置しすぎたために質が高いにも関わらず数で規制しなければならないという状況には少なくともしばらくの間はならないのではないか。むしろ一生懸命高い質を目指して、早急に教育システムを整備していかなければならないのではないか。現在検討しているのは法曹養成に特化した教育機関としてのロースクールの基準であるが、これは最低基準であり、基準を満たせば法科大学院として認可されることから、例えば企業の法務部等で働くことを目指している者の養成など、法科大学院が付加的あるいは拡張した機能を持つということはあり得ると思う。特に法科大学院は大学の自主性、創意工夫に基づいて多様な展開をするのが望ましいとなっていることから、その中身の問題として膨らみの部分を考えていけばいいのではないか。
     
   法学部以外の人や、既に社会に出た人たち等が法科大学院で3年の教育を受ければ法曹になれるということで、法曹の仕事を希望することにより、質の拡大を目指すべきであり、そういうことが可能になるような法科大学院の制度であり、かつ司法試験でなければならないと思う。
   
   設置基準を満たしていれば法科大学院を設置することはできるので、評価基準で不適格になった場合でも設置認可まで取り消すということにはならないと思うが、評価基準を満たしていないという判断が出たときに設置認可との関係でどういう効果が生じるかということについては、どこで検討されるのか。
   
   司法試験の受験資格との関係があるので、まだ詰まっていないと思う。
   
   第三者評価の結果、不適格とされたことで設置認可自体も取り消すのかどうかということは、設置認可の仕組みの問題であり、他方新司法試験の受験資格の付与の問題については新司法試験制度を考えるときに検討しなければならない。司法制度改革審議会での議論では、第三者評価で不適格となった場合、設置認可と新司法試験の受験資格の付与がすぐに帳消しになるということではなく、まず穏やかな勧告を出し、その後是正策、勧告とすると同時に、第三者評価の結果を公表することにより、自発的教育システム等を改善してもらうことが先決であるというものであった。その先に法律的な効果があるのかどうかはその後の問題になると思います。
   
   出口の試験の在り方は、法科大学院の在り方にも関係するので、今後は、法曹養成検討会での議論された司法試験についても、十分部会として認識できるような運営を心がけていきたい。今後、どのようなものを議題にしていくかについては、一任させていただきたいと思う。
   
次回の日程
   次回は、2月8日(金)に開催することとなった。

(高等教育局高等教育企画課)

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