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中央教育審議会大学分科会

2001/11/26 議事録
中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第6回)

中央教育審議会大学分科会法科大学院部会(第6回)
     
日   時 平成13年11月26日(月)10:30〜13:00
     
場   所 文部科学省分館(旧国立教育会館) 特別会議室201,202
     
議   題
  (1) 入学者選抜
  (2) 教員組織、学生収容定員等
  (3) 複数の大学が連合して設置する大学院(連合大学院)
  (4) 奨学金、教育ローン、授業料免除制度等の各種支援制度
  (5) 施設及び設備
   
配付資料
 
資料1 法科大学院部会(第5回)議事要旨(案)(略)  
資料2−1 伊藤教授(東京大学法学政治学研究科)説明資料  
    別紙1     問題例  
    別紙2     GPA制度を導入している大学の例  
資料2−2 法科大学院の入学者選抜の在り方  
資料3 法科大学院の教員組織と学生収容定員等についての考え方
(試案)
 
資料4 複数の大学が連合して大学院を設置する方法について  
資料5 奨学金、教育ローン、授業料免除制度等各種支援制度  
    別紙1-1     国立・公立・私立大学の授業料及び入学料の推移  
    別紙1-2     育英奨学事業について  
    別紙1-3     主な大学の育英奨学事業の状況(平成12年度)  
    別紙1-4     民間団体等における育英奨学事業実施状況  
    別紙1-5     国民生活金融公庫における教育ローン  
    別紙1-6     (参考)民間金融機関で行われている教育ローン  
    別紙1-7     諸外国の主な政府奨学金制度(高等教育)  
    別紙1-8     国公私立大学の授業料減免措置の概要  
    別紙2-1     パートタイム学生(仮称)に関する大学分科会 制度部会における検討内容  
    別紙2-2     パートタイム学生(仮称)、科目等履修生の比較  
資料6 法科大学院の施設及び設備  
資料7 大学分科会の今後の日程について  
     
5. 出席者
(委員) 佐藤幸治(部会長)、高木剛の各委員
(臨時委員) 石弘光、濱田道代の各委員
(専門委員) 磯村保、井上正仁、太田茂、奥田隆文、川端和治、小島武司、ダニエル・フット、藤川忠宏、藤田宙靖、牧野純二の各委員
(文部科学省) 御手洗文部科学審議官、工藤高等教育局長、田中総括審議官、清水高等教育局審議官、板東高等教育企画課長、合田大学課長、戸渡学生課長、山根私学行政課長                  他

6. 議事
   事務局から資料についての説明があった後、有識者より法科大学院の入学者選抜について、以下のとおり報告があり、その後質疑応答、意見交換が行われた。
   (○:委員、□説明者、●:事務局)

【伊藤眞氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)の報告及び質疑応答】
   報告事項:「法科大学院の入学者選抜の在り方について」(中間報告)(資料2−1)

       法科大学院における最も喫緊の課題の1つに、入学者選抜の在り方があるが、法科大学院が立ち上がることになれば、それにふさわしい組織がこのことについて、検討することになると思うが、現段階では、その点がはっきりしていないため、大学関係者で自主的な研究グループを作り現在までの検討してきたことを中間的に取りまとめたので、本日は私の責任において報告する。
   入学者選抜の基本的考え方は、公平性、開放性、多様性の確保に留意しながら、入学者選抜を行うことであり、単なる試験の点数で選抜するのではなく、学業成績、社会経験、その他の要素を合理的に考慮することが要請されるのではないかと思う。ただ、そのような入学者選抜の考え方が、従来の我が国において、一般的に存在したかというと、必ずしもそうとはいえないことから、新しい入学者選抜の在り方を検討しなければならないわけであり、特に適性試験の内容や学業成績の評価方法について十分に検討を行い、ある程度、事前に社会や出願を予定されている方々に対して、理解を得ておく必要があると思う。
   検討に当たっては、法科大学院は、標準修業年限が3年と短縮型の2年が考えられているので、入学者選抜のあり方についても3年修了予定者と2年修了希望者が併存することを前提にするのが合理的だと思う。
   社会人としての活動実績を客観的な指標で示す事は、性質上適さないと思う。また、学業成績についての最終的な判断は各法科大学院独自の基準に委ねざるを得ないとしても、ある程度客観性を持った評価基準を示し、それを尊重しながら評価を行うことが必要だと思う。
   出願者全員に等しく適性試験を課すべきであり、内容については、法学既修者や特定の専門を修めた者が有利にならないように考慮する必要があると思う。
   2年修了希望者について、各法科大学院が、独自に法律科目試験を行うことが合理的なのか、全国統一的な法律科目試験が必要なのかも、検討の前提条件になると思う。
   法科大学院の出願資格については、法学部出身でない者についても、2年修了希望者としての出願を認め、法学部出身者についても、3年修了予定者としての出願を認めることを踏まえて、入学者選抜の基本的な考え方を損なうことがないように検討する必要があると思う。
   適性試験の内容および実施準備の検討については、戦後の一時期に実施されていた、進学適性試験や、一部の大学の医学部でMCATという適性試験を実施した例を参考に検討しているが、これらは例外的なものとして行われたものであり、法科大学院の入学に際しての適性試験の導入については、アメリカのLSATという適性試験を参考にするにしても、十分慎重な検討が必要だと思う。
   適性試験の作題について、研究会の中にワーキンググループを設け、現在、問題例を検討しており、来年3月頃を目途として、問題例を30から40問用意して、長文読解や分析判断力、論理的推理力など、グループごとに問題を分けて、出願者の総合的資質と能力を判断できる形に仕上げることを考えている。作題にあたっては当該分野の専門知識を持たない受験者であっても判断力や推理力、分析力を駆使すれば十分正解に達し得るという考え方で検討している。
   来年の5月頃に第1次の試行試験を実施し、来年の秋ないし冬頃には、問題数、回答時間が本試験により近い形での第2次の試行試験を実施し、平成15年度の適切な時期に本試験を行うことを考えてはどうかと思う。入学者選抜試験なので、実施の具体的な手順を策定する作業が必要になるが、センター試験の例から考えても膨大な作業が必要になると思う。この点についても研究会の中で、別のワーキンググループを組織し、問題点や課題などについてを検討することを考えている。適性試験の実施母体については、然るべき権限のある機関が決定されると思うが、やはり永続的な形で責任を引き受け、受験者数が数万人に上ることが予想されることを前提として、適正に(適性試験を)実施する母体を見出していく必要があると思う。
   学業成績の評価方法についてであるが、最終的には各法科大学院の判断に委ねられるべき問題である、第一次的判断基準として統一的指標を用意することは意味があると思う。
   そこで、既に我が国のいくつかの大学で行われている、いわゆるGPA(GradePointAverage)の指標を成績評価の基本に考えてはと思う。例えば、いわゆる足切りという意味での、第一段階選抜の方法としてGPAのスコアを使うことや、適性試験の点数と組み合わせて判定指標を作り、それを選抜の資料とすることなどが考えられるが、利用の仕方は、各法科大学院で判断すればよいのではないかと思う。しかし、各大学、各学部において成績評価基準にばらつきがあることを前提とすると、GPAの算定を出身校に委ねることがよいのかという問題がでてくるが、各法科大学院がGPAの算定をするのか、あるいは、適性試験の実施母体となっている機関がGPAの算定をするのかということについても検討する必要があると思う。
   法律科目試験については、法科大学院1年次における科目が必ずしも厳密に統一されたものではないということが考えられるので、統一的実施を義務づけることは合理的ではないと考えるが、各法科大学院が独自の法律科目試験に代えたり、もしくは独自の法律科目試験と併せて、第一段階選抜の方法として利用することが考えられる。
   入学者選抜手続きのイメージとしては、入学する前年度の適切な時期に適性試験を実施し、出願者はその適性試験の成績と自らの学業成績等の要素を考慮して出願校を決定して、出願手続を行う。また、2年修了希望者の場合には、もし全国統一法律試験の点数を利用する法科大学院に出願する場合にはそれも、予め受験して出願校を決定し出願することになる。また、各法科大学院が必要であれば、3年修了予定者については小論文や面接等を実施して、その他の要素を総合的に考慮して合格者を決定することが考えられるし、2年修了希望者についても、独自の法律科目試験を実施して合格者を決定することが考えられる。

   法律家にとって重要なことは、知的な能力よりも法律家にふさわしい人格的なものがあるかどうかだと思う。ABAでも人格を審査することが基準に挙げられており、法科大学院でもそのような審査が必要だと思が、あまりこの点を強調すると、不公平との批判を生じかねない。

   人間性をどのように判断するかは大変難しい問題であるが、適性試験においてはそのような役割も期待されていると思う。また、各法科大学院が行うとすれば、面接、小論文、学業、学業以外の活動などいわば、多重的な側面から総合的に判断をするということで、法律家に適した人格というか人材というか、その持っているかどうか素地をある程度判断できるのではと思う。ただ、これについてはご指摘のとおり、ややもすればそのようなことが不公平という批判を生じかねない問題があるわけであるが、幸いにも法科大学院に関しては設立後、第三者評価で多面的、多重的な視点からの入学者選抜が適正かつ公平に行われているかを判断すればご懸念の点は防げるのではと考えている。

   一般の学部ではセンター試験があり、センター問題がベースになって各大学で試験をさせているが、法科大学院の選抜試験は適性試験、内申点、統一的な法律科目試験をやろうということで、かなりセンター試験的要素が濃いと理解できるが、各法科大学院が、多様性という形で幅広い人材を集めたい場合に、センター試験でどんどん来てしまうと個性豊かな大学院に合った学生を集めたい要求に対してどこでチェックできるのか気になる。基本的には受験勉強ばかりしてくる人は歓迎せず、適性試験で生まれつきの能力をチェックするということで、かなりネイションワイドでやる試験に依存する要素が多いという理解でいる。また、法律科目試験は各法科大学院の判断で実施してもよいのか。

   ご指摘の後半部分はその通りであり、理想的には全国で1つの機関が全志願者を対象にして行わないと適性試験として十分機能しないと思う。また、前半部分は、適性試験の内容や作題をどういうものとして考えるかという問題と密接に関係してくると思う。適性試験には限界があり例えば200点満点の場合、199点の人が180点の人より絶対的に適性があるかはそれだけでは判定できず、あくまでも判定する1つの資料であり、もう少し質的な情報や学業成績、場合によっては、小論文等で総合的に見ていかないと、点数だけでは適正があるなどとは言えないだろうと聞いている。法律科目試験の実施については、ほとんどの法科大学院が実施すると思うが、その前提としての、統一的な法律科目試験の採用については、各法科大学院の判断になると思う。

   3年修了予定者に対しても法律科目試験を課すのかどうかは、各法科大学院の自由というように受けとれるがこれは、未修者コースを3年で設けた趣旨に全く反するので、これは認めないということをどこかで決めてほしいと思うが、そういうことが可能なのかどうか。また、第三者評価の問題だと思うが、不当な寄付金の約束等の不正な入学者選考が法科大学院で起こらないようにするための措置についてもどう考えていくかが重要。

   お答えできる性質のものではないと思うが、関係することを言えば、適性試験の中で法律の解釈を素材にしたような問題を出すことはあり得ると思う。LSATでもその種の問題は何問かはあるが、この場合、不公平が生じないように、必要に応じて注釈をつけ、法律について勉強したことがない人でもきちんと考えれば正解に達するという性質のものであるように思う。例えば、社会科学系の人は倫理的思考力を試すといっても経済学的な形を採っているとそれは得意であったり、法律的な表現を採っているとそれが得意ということがあったりするかもしれないが、いろいろな専門分野の問題が出題されるわけであり、全体に相殺されればそれほど大きな影響はないと考えている。

   法曹としての人格的な面での判定が必要ではないかという意見があったが、多様な人材を法曹として育成する中で、法曹として必要な人格というものが一体あるのかないのか疑問であり、それは社会人として的確かどうかという判断とどれだけ違うのか、その辺の定義が何かあれば教えてほしい。

   それは、社会人の適正とほとんど同じということでよいと思う。やはり法律家としての仕事に対して情熱や依頼者のためにがんばるという気持ちや弱者に対する思いやりが重要であると思うので、受験秀才的な学業成績あるいは知的能力だけで選抜することにならないように、基準が必要なのではないかという意見である。

   適性試験も法律科目試験でも、ある程度の共通試験的、統一試験的な指標を準備する必要があるかどうかであるが、適性試験の方は絶対に必要だと思うが、適性試験や法律科目試験などのいろいろな試験の枠組みをどこまで利用するかは各法科大学院の判断に委ねることになると思う。その際、法律科目試験について理想が統一試験なのか、それとも各法科大学院の判断に委ねるものと考えるかは、今後の制度設計に、影響が出てくるポイントであると思う。また、倫理的なもの、人格的なものは大切であるが、この問題は抽象的な言辞として入学者選抜だけの問題ではなく制度の運用及び設計の際に十分配慮する点であると思う。つまり法曹の人格面で特別に問題のあるケース、逆に特別に良いケースであれば別であるが、通常それらを入試において考慮するのは難しく、スローガンに留まり、内部に浸透しない危険もあるので、むしろ法科大学院の中でこれを倫理的な側面、社会的責任を明確にするということに努めると同時に、それを修習、そして継続的な研修の中で生かしていくことが重要である。そのためには、全体としての国民的基盤、社会的ニーズ、社会の直接的な評価というものを汲み上げ、各機関が、それを制度の運用や評価の中に反映していくことが必要であり、第三者評価はまさにそういうものを取り込んでいく1つの重要な流れなので、偏った姿にならないようにしていくことが重要である。

   入学者選抜に当たって、人格的な面での判定が必要との意見に関連して、一般に、「口述試験では人物まで評価できる」と考える向きも少なくないが、例えば、司法試験口述実施の経験からすると、受験者のパーソナルバックグラウンドはいっさい踏まえず、多数の受験者に対して、法律問題についてのみ短時間で応答させる口述の方式では、人物まで評価することは到底できないというのが実状である。ただ、口述は、例えば数百人程度から100人程度を選ぶというような比較的少人数の受験者群に対して、受験者の経歴等も踏まえて一人に対して十分な時間をかけて応答させる方式であれば、人物面についての選抜機能を持たせることは不可能ではないと思う。例えば、1時間程度の面接をし、非常に豊富なボランティア経験を持っており、柔軟で魅力ある人物と評価された場合、適性試験あるいは法律試験の点数としては他にもっと高い者がいたとしても、口述ないし面接の評価を踏まえて合格させるということもあり得るのではないか。これと若干関連するが、適性試験は統一・義務的なものであるが、2年短縮のための法律試験については、各法科大学院に統一的なものを義務化しないとしても、任意に使うものとしての関係者の協力による統一試験的なものは考え得るのではないか。入試の期日をどうするかにもよるが、各法科大学院がばらばらに実施する場合、一つの法科大学院に数千人が応募してくる可能性もあり、その場合、全員に対して丁寧な面接ないし口述をするのは困難であろう。しかし、適性試験ないし法律試験で、せめてこの位のレベルにいないとだめ、という程度の第一段階での選別をして受験者を相当程度絞り込んだ上で、丁寧な口述ないし面接を行い、その際に人物評価の要素を加味することは可能なのではないか。

   面接について、個人のプライバシーに関することなどについて聞かないよう面接員に指示することがある。法律以外に1時間位かけて面接を行う人的資源があったとしても、このような問題が、現実的にはあることを懸念している。また、学部成績を考慮する際、GPA制度を利用することは望ましいと思うが、実際には2004年度に入学する学生にとってGPA制度が適用されていないことが一般状況であるため、利用することは難しいところであるが、仮にGPA制度が一般化したとしてもアメリカのロースクールのように各大学の差を考慮して傾斜をつけて成績を判断し、客観的な評価に結びつけるのは難しいと思う。社会人入試については、働きながら夜間の大学で勉強している者を社会人として扱うかや、1,2年の社会経験をしていれば、社会人としてみなすのかなど、社会人の概念が曖昧になっているので、ある種のガイドラインを定める必要があると思う。

   多様性や開放性を実現するためには、1回の試験だけではなく、総合的な判断が必要であると思う。1回の試験を同条件で受けることが公平であるという日本の現状に鑑み、公平性の確保も必要だが、大学のレベルや履修科目の違いがある中で、客観性のある総合的な評価に加えて、GPA制度を機械的に活用しそれらを比較するのは大変だと思う。アメリカの場合でもLSATや学業成績で第一段階の選抜を行った上で、残った者について学業以外の様々な活動等を評価しており、その際も客観的なバイアスがかかるため5人のコミッティーで行っている。多様性、開放性を実現しながら公平性を確保し、総合的な評価を行うのは大変な作業になると思う。

   法学未修者には3年制コースしか選べないというわけではなく、2年修了希望者としての出願を認めないと不公平になると思う。そうすると2年制コースに受験生が殺到し標準修業年限が3年であることが生かされなくなるという懸念が残るが、それは、別の方策を組み合わせることによって確保することを考えざるを得ないと思う。基本的に2年修了か3年修了かは法科大学院側の判定もあるが、ベースとなるのは学生の希望だと思う。学生の希望がどの程度2年の方にシフトするかを考えると、新司法試験や旧来型の司法試験が併存する期間の受験資格に密接に絡むと思う。在学中に新司法試験が受けられるという構造になると2年制の方を選び、ダメだったら留年するという方向にいき、修了した後でないと新司法試験を受けられない場合は、慌てて受けてみて落ちても仕方がないということがあるので3年制の方に希望が流れ、自信がない者は法学部出身であっても3年のほうを選ぶことになると思う。落ち着いて法科大学院で履修ができるようにするためには、新司法試験の受験の時期あるいは、旧司法試験が併せて受けられるかが密接に絡むと思う。

   入学者選抜試験において、公平性、開放性、多様性を実現するためには、適性試験の在り方が重要であり、進学適性試験のように心理学的なロジックで解くような問題ばかりでは適性試験にならないと思う。社会的な信頼が集まらない限り入学者選抜試験は失敗すると思う。多様性について、同一の基準で試験をするのではないということを社会的に認知してもらうことが必要であり、適性試験は幾つかのチェックポイントにより、公平かつ公正に評価するということを社会的に信頼を得ることが重要と思う。

   3年標準型と2年短縮型の選抜方法、適性試験の方法・内容、学部成績の評価方法の詳細については更なる検討が必要だと思う。

(教員組織と学生収容定員)
   最少専任教員数で、最小規模と想定される収容定員は150人ということだが、これは、1学年を50人までとするラインを設ける趣旨まで含んでいるのか。場合によっては、1学年を30人で作りたいところがあった時にどうするか。

   50人以下の規模であれば教育が成立しないというほどの強い意味はなく、50人より入学定員を少なくしても専任教員数が同じであれば、わざわざより少ない入学定員を設定することは想定し難いと思う。実際に1クラスの授業が50人程度で行うものとすれば、各大学はその程度の入学定員は設定するだろうという意味で想定している。

   以前の議論では、法律基本科目の授業は50人から60人の学生で行うとし、ある程度幅を持たせるという主旨だったが、この表現では重要科目全てについて、50人程度でかなりきつい基準に受け取られるのでその辺は配慮が必要だと思う。科目によってはアベイラブルな先生がごく限られている場合は、100人程度の授業をやらざるを得ないと思う。1学年50人という定めを置くことの縛りの力をどの程度にするかにもよるが、ある程度は柔軟にしないと実際の運用は難しくなると思う。また、教員資格で、最近の一定期間の実績を基に再審査をすることについては、賛成だがその中身が問題になる思う。また、審査基準が従来とは少し違ってくるので審査基準の定め方も考慮する必要があると思う。専任教員のうち3分の1を既存の研究科及び学部の兼担を認めるのを概ね10年程度で解消し運用できるのか不安を感じる。法学部では、教員の全てが大学院の研究科に所属し学部を兼担している場合と学部に所属している場合があると思うが、学部である程度の人数の学生を抱えている場合、かなりの数の教員を法科大学院に移し、学部と完全に分離することになると、学部の学生を支えていけるのかが深刻な問題になってくると思う。国立大学的なところではポストをいかにたくさん増やして頂けるかということとの関係になり、私立大学の場合には経営の問題になり、難しい問題が生ずると思う。実務家教員については、実務経験を有する教員の定義について、議論する必要があると思う。

   授業を行う学生数については、科目によってはもっと少なくする必要があるのではないかと思う。特に実務科目でライティングの授業やクリニックということになると、50人は多すぎるというので科目ごとに適正人数が違ってくることを示す必要があると思う。
学生・教員比率が15:1というのはいいと思うが、専任教員数のうち3分の1は兼担を含めることについては、懸念がある。兼担をある程度認めないと当面運用できないという実状は分かるが、兼担を認める場合には人数のカウントを1人にしないで0.5人にするなど、工夫が必要であると思う。アメリカのABAでは、兼担を認める場合の基準はないが、管理にあたる身分を持つ人は0.5人にしか数えないなどの基準を設けている。兼担教員をどのようにカウントするかという問題もあるが、新しい教育をするのだから教員に相当負担がかかると思う。ここを緩めると法学部と同じ講義になりかねないという危惧を感じている。もし兼担を認めるならば、専任教員としてのカウントの仕方や、両方で持つコマ数を制限するなどの基準を設けることが必要だと思う。実務家教員については基本的には実務経験が5年以上ということでいいと思うが、プロフェショナルレスポンシビリティーいわゆる専門職責任の教員については、最も問題となる利益相反や真実義務という問題に自分が直面して悩んだという経験があって初めて説得力のある授業が展開できると思うので、最低10年の経験がないときちんとした講義ができないと思う。理想は、この教員と研究者が一緒にチームを組み、専門職責任の理論化という作業に取り組むことだと思う。

   兼担を認めてもらわないと実際回らないと思うが、カウントの仕方は少し甘いと思う。また、法科大学院のみ専任の教員が、他で授業を受け持てないという縛りをかけるのもおかしいと思う。主力が法科大学院でなければならないことは当然だが、他の学部や大学院の授業も用いることを認めた方が運用は柔軟になると思う。実務家教員の3分の1程度が常勤とするのは、法科大学院を設計する段階で重要な問題になると思う。実務家教員の定義と実務家教員の兼業について議論する必要があると思う。

   専任教員の兼担の考え方については、学部と大学院の両方で専任教員としてカウントできるという意味であり、実際に授業をどの程度どちらで担当するかとは、別であるということである。例えば、兼担教員でカウントした数は、学部でも同じ数をカウントすれば結果は同じになる。法科大学院のみの専任教員についても、実際に授業をどちらをどの程度担当するかとは別であり、学部の専任教員の数とは別に法科大学院のみの専任の教員はそろえる必要があるという意味である。

   専任教員数を計算する上で兼担を10年程度を目途に解消することに異論はないが、それによって兼担がなくなることは懸念する。アメリカのロースクールの場合、兼担を認めていないため学部では、ほとんど授業を持っていないことがかなりの弊害になっていると思うので、お互いに教えないという状況が生じないように制度設計をする必要があると思う。実務家教員の定義も重要だが、その余りは年間6単位以上の授業を担当することで足りるものとするというところが気になる。アメリカのロースクールでは、特殊な分野や先端的な分野など、専門性の高い実務家教員が1コース4単位を受け持ったり、2単位だけの1コースを提供することがあるが、こういう場合は、実務家教員を何人か集れば基準を満たすということになるのかどうか。

   教員比率や兼担の数字自体については、様々な機会に議論している教育内容が達成できるのかという観点からまず考えるべきだと思う。そういう意味では現在、大学などで実際に教育に当たっておられる先生方から見て、法科大学院における教育目標を達成するための基準というのが、正しい基準であると思うが、新しい制度を立ち上げようとしているのだから、理想論ばかりを言っても現実的ではないと思う。現実的な制度設計というものを当然考えるべきではないかと思う。兼担を認める理由であるが、1年次の教育内容は、法律基本科目群のうち、主として法学未修者向けの基礎的内容が多いと想定されるので、兼担を認めることが適切であるという考え方はおかしいと思う。法学未修者が初めて勉強をする1年目の最も重要な部分の充実を図る必要があると思う。また、ある程度時間が経過すれば、兼担は解消するとあるが、移行期こそ最も重要な部分であり、大学関係者の創意工夫が求められると思う。

   この書き方は少し誤解を受ける恐れがあると思うので整理をする時には注意をしたいと思う。

   専任というのは、教育についての管理運営に責任を持つことであり、一定数の人が専任でいる必要がある。密度の濃い教育を行うという意味では実質授業を担当する教員が、学生との関係で多くいることが重要であり、授業を実質的に担当する人の数とは必ずしも一致するとは限らないと思う。兼担だからいい加減な授業をして専任だから法科大学院にふさわしい授業をするということは必ずしもならないので、教育の内容については、どれだけ大学院や実務家が意識を持って新しい制度にふさわしい授業を展開するかが重要である。法曹倫理科目については、実務家が担当することを前提とした意見だと思うが、前にも議論があったように、独立した科目として展開するのもいいと思うが、他の科目の一部として展開することも有効ではないかと思う。また、実務家教員が他の仕事を兼ねられるかどうか、これはもっぱら公務員法や弁護士法の問題でそこが柔軟にできればいいのではと思う。

   例えば、弁護士の場合、フルタイムの専任ということになれば、実務を行いながら大学で授業を行うこととなり、非常に負担がかかると思われるので、実務家教員には、相当のインセンティブが必要になると思う。弁護士から教員へと職業を変えてしまう場合と、弁護士をやりながら教員になるということでない限りは、教員もなかなか集まらないのではと考えられるので、この点については更に工夫が必要と思う。

   兼業の問題については法制度的に整備する必要があり、実務家教員にインセンティブになるような弾力的な取り扱いを考える必要があると思う。


(連合大学院、各種支援制度、施設及び設備)
   連合ないし連携大学院については、設置基準の素案を公にした後に、各大学の実状や要望を踏まえて、従来の枠組みにとらわれない方式の可能性も含めて検討する必要があると思う。

   各種支援制度については、法科大学院に入学すれば希望者は全員利用できる制度になるのかが問題であり、大学院レベルで3年間学ぶことになると、生活の問題も生じてくるわけで、単に授業料が賄える程度の奨学金では不十分だと思う。

   社会人の入学枠が存在する関連で学部教育を終えて一定期間社会で経験を積むと同時に、預金などができている者が教育を受けることも考えられ、補完的ではあるが、経済的障害の打開の方法の1つであることを認識する必要があるのではないか。

   施設設備は、実際に学生を受け入れて良質の教育をするためには強調しておきたいところで、従来の大学院の研究者養成の方はこの辺が後回しになり、学部と共用し空いている時に使うという発想になっているのではないか。少なくとも専門大学院の基準のように、図書設備、自習設備等が充実することが重要と思う。授業数を必要最小限にして自分で勉強してもらうということなので、それに見合った施設設備が設けられることが重要と思う。

   現行の教育ローンは、父母に対しての貸付であるが、司法制度改革審議会の議論でもあったように学生本人に対する貸付を政府保証で作り、敢えてチャレンジする学生を対象とする新しい制度をつくることについても、プレゼンテーションの1つとして検討してほしい。

   学生本人に対する支援制度も十分考えられるので、その辺も考えプレゼンテーションを検討したい。また、大学院と学部教育の関係や、大学院教育全体について、当部会だけでなく、中教審全体として本格的に検討していく大きな課題であると思う。


7. 次回の日程
       次回の日程は、12月11日(火)に開催することとなった。

(高等教育局高等教育企画課)

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